その溺愛、予想外につき。
「……やっぱり今からでもやめるか?」

足が止まりそうになる。
でも、私は首を横に振った。

「やめない」

「ふわり」

「だって、ここまで来たもん」

そう言うと、涼は困ったように目を細めた。
怒っているわけじゃない。
ただ、心配で仕方ないという顔だった。

その視線に胸がきゅっとなる。
だけど、ここで引き返したら、たぶん一生後悔する。

エレベーターで上の階へ向かう数十秒さえ、ひどく長く感じた。
上昇する機械音に混じって、自分の鼓動ばかりが耳につく。

扉が開くと、受付の奥に広がるフロアは静かだった。
白を基調とした清潔な空間。
壁には所属アーティストのポスターが並び、ガラスの向こうではスタッフらしき人たちが忙しそうに動いている。

その一角に、昨日家に来ていた男性が立っていた。
細いフレームの眼鏡をかけた、三十代くらいの人。
優しそうにも見えるけれど、仕事の時はきっと厳しい人だとわかる目をしている。

「天宮」

低く呼ばれて、涼が軽く頭を下げた。

「おはようございます、黒崎さん」

黒崎さん。
昨日、事務所の人として来ていたマネージャーだ。

私も慌てて頭を下げる。

「お、おはようございます……!」

黒崎さんの視線が私に向く。
少しだけ驚いたような顔をしたあと、すぐに涼へ戻った。
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