放課後、怪異調査クラブ

七番目の場所で待つ者

第十話 七番目の場所で待つ者

 放課後の校舎は、いつもより静かだった。

 窓の外では、夕日が校庭を橙色に染めている。部活動の声も、廊下を走る足音も、今はもう聞こえない。

 朝倉湊は、手の中にある一枚の紙を見つめていた。

『答えを知りたければ、七番目の場所で待て』

 何度読み返しても、書かれている言葉は変わらない。

「……行くしかないよな」

 湊がつぶやくと、隣に立っていた水瀬ひよりが小さくうなずいた。

「うん。でも、誰が待っているのか分からないんだから、慎重にね」

「もし怖い人だったら、俺が先に逃げるから任せろ!」

 黒田蓮が胸を張った。

「それ、頼りになるようでならないんだけど」

「ひどくない?」

 いつものやり取りに、湊は少しだけ緊張をほぐした。

 三人が向かったのは、校舎の裏手にある旧準備室だった。

 普段は使われていない古い建物。創立七十周年の記念行事で使われた道具や、昔の学校の記録が保管されている場所だ。

 七つの怪異を追いかけてきた彼らにとって、ここはすべての謎が集まる場所だった。

 湊が扉に手をかける。

 鍵は、かかっていなかった。

「……開いてる」

「誰かが中にいるのかな」

 ひよりが声をひそめる。

 蓮は一歩下がり、二人の背中を押した。

「さ、先にどうぞ」

「さっき俺が先に逃げるって言ってなかった?」

「状況が変わったんだよ!」

 小声で言い合いながら、三人は扉を開いた。

 ぎい、と古びた蝶番が鳴る。

 室内には、木箱や古い机、使われなくなった機材が並んでいた。窓から差し込む夕日が、床に長い影を落としている。

 そして、部屋の奥。

 一人の男性が、古い机の前に立っていた。

「来たね」

 穏やかな声だった。

 男性は三人を見て、ゆっくりとほほ笑んだ。見覚えのない顔だった。少なくとも、湊たちの知っている先生や職員ではない。

「あなたが、手紙を置いた人ですか?」

 ひよりが尋ねた。

「そうだよ」

 男性は素直に答えた。

「じゃあ、音楽室のピアノも、理科室の白い影も、図書室の本も……全部、あなたが?」

「全部ではない。十年前に仕掛けられたものもあれば、今の校舎の状態によって偶然起きているものもある。私は、君たちがそれを調べられるように、いくつかの手がかりを残しただけだ」

「十年前って……七十周年のときですか?」

 湊が聞くと、男性はうなずいた。

「私は当時、この学校に通っていた。七つの怪異を考えた子どもたちの一人だったんだ」

 蓮が目を丸くした。

「えっ、じゃあ、あの新聞に載ってた写真の中に?」

「そう。ずいぶん昔の話だけどね」

 男性は机の上に置いてあった古いアルバムを開いた。

 そこには、十年前の子どもたちが写っていた。笑っている子、変なポーズをしている子、記念の看板を持っている子。

 その隅に、今よりずっと幼い男性の姿があった。

「七つの怪異は、怖がらせるためだけに作ったわけじゃない。学校の古い設備や、建物に残された仕組みを使って、校内を探検してもらうための企画だったんだ」

「でも、どうして今になって、私たちに手がかりを?」

 ひよりが尋ねる。

 男性は少しだけ視線を落とした。

「本当は、最後にすべての仕組みを説明する予定だった。でも、記念行事が終わるころには、私たちの卒業が近づいていた。記録もばらばらになってしまってね。結局、最後の謎だけが解かれないまま残った」

「それで、十年間ずっと待っていたんですか?」

「いや。ずっとではないよ」

 男性は首を横に振った。

「私はときどき学校を訪ねていた。古い記録を整理する手伝いもしていたんだ。そこで、図書室に置かれた調査記録を見つけた。誰かが七つの怪異に興味を持ってくれたのだと分かって、少しうれしくなったんだよ」

 湊は、手紙を握りしめた。

「じゃあ、誰もいない教室から俺の名前が聞こえたのも、あなたが?」

「それは、昔の校内放送設備が関係している。古い配線の一部が残っていて、別の場所の音が思いがけないところから聞こえることがあった。名前が聞こえたのは、私が確かめるために流した声だった。驚かせてしまって、すまなかったね」

「やっぱり……」

 ひよりが、ノートに書き込んでいた記録を見直した。

「声の前に、小さな音がしたこと。音が聞こえた場所と、実際に音が出た場所が違うこと。全部、つながっていたんだ」

「本棚の本が動いたのも、古い仕掛けを利用したものだった。白い影は、人体模型や窓ガラスに映ったものが重なって見えたんだ。階段の段数が変わって見えるのも、踊り場の窓から見る景色と、段の数え方が関係している」

 男性は、机の引き出しから一冊のノートを取り出した。

 表紙には、こう書かれていた。

『七つの怪異・解答記録』

「これが、最後の記録だよ」

 湊は、そっとノートを受け取った。

 中には、七つの怪異の仕組みが、一つずつ記されていた。

 音楽室のピアノは、古い設備を通じて別の場所の音が伝わることで、誰もいないのに鳴っているように聞こえた。

 理科室の人体模型は、照明と窓の反射が重なることで、位置が変わったり、白い人影のように見えたりした。

 廊下の声は、古い放送設備を利用したもの。

 図書室の本は、棚の裏に残っていた簡単な仕掛けによって動いていた。

 夜の影は、暗い窓ガラスに映り込んだ模型や、校舎内の光が作り出したものだった。

 階段の段数は、踊り場の窓から見える景色と、目の錯覚によって違って感じられる。

 そして、七番目の怪異。

 その正体は、校舎のあちこちに残された仕掛けをつなぐために作られた、古い案内人の人形だった。

 人の背丈ほどある白い人形は、記念行事の最後に旧準備室へ置かれていた。しかし、片づけの際に運び出されず、長い間、古い道具の陰に隠れたままになっていたのだ。

「これが、学校を見守っている人の正体……?」

 湊はノートの最後のページを見つめた。

 そこには、古い人形の写真が貼られていた。

 白い服を着て、丸い目をした人形。その姿は、これまでに見た白い影とよく似ていた。

「人形そのものが動いていたわけではないんだ。光や反射、古い設備が作る音が重なって、まるで何かが校内を歩き回っているように見えていたんだよ」

 男性はそう説明した。

 蓮は、深く息を吐いた。

「なーんだ……幽霊じゃなかったのか」

「残念そうに言わないでよ」

 ひよりが呆れたように言う。

「いや、だってさ。ここまで来たら、最後くらい本物の幽霊がいても……」

「蓮」

「はい、すみません」

 三人のやり取りを聞きながら、男性は楽しそうに笑った。

 そのとき、湊はノートの最後に、小さな文字が書かれていることに気づいた。

『七つの怪異を解いた者へ。

 怖いものを見たとき、すぐに正体を決めつけてはいけない。

 よく見て、よく聞いて、考えること。

 そうすれば、恐ろしいものの向こうに、本当の姿が見えてくる。

 この学校で過ごす時間が、君たちにとって大切な思い出になりますように』

 湊は、ゆっくりと顔を上げた。

「……これを、俺たちに伝えたかったんですか?」

「そうだね。けれど、それだけじゃない」

 男性は、窓の外に目を向けた。

「君たちが、自分たちで答えを見つけたこと。それが何よりうれしいんだ」

 窓の外では、夕日が校舎の屋根に沈みかけていた。

 湊は、最初に見つけた古いノートを思い出した。

 あのときは、七つの怪異が本当に存在するのだと思っていた。誰もいない音楽室のピアノも、理科室の白い影も、教室から聞こえた自分の名前も、すべてが不思議で、少し怖かった。

 けれど、調べていくうちに、ばらばらだった出来事が少しずつつながっていった。

 怖いと思ったものの正体は、誰かの工夫だったり、古い建物に残された仕組みだったり、光や音の思いがけない重なりだったりした。

 そして、その謎を追いかけた時間は、いつの間にか湊たち三人にとって、かけがえのない思い出になっていた。

「俺たち、ちゃんと解けたんですね」

「ああ。君たちは、自分たちの力でここまでたどり着いたんだ」

 男性は、最後にもう一つの封筒を差し出した。

 表には、見慣れた文字が並んでいた。

『怪異調査クラブへ』

「これは、君たちが持っていてほしい」

 封筒の中には、新しいノートが三冊入っていた。

 一冊目には、湊の名前。

 二冊目には、ひよりの名前。

 三冊目には、蓮の名前が書かれている。

「えっ、俺たちの名前、いつの間に?」

 蓮が驚いた声を上げた。

「名前は、白石先生に教えてもらったんだよ。君たちがこの謎を調べていると聞いてね」

 男性は、いたずらっぽく笑った。

「次は、君たち自身で記録を残すといい。学校には、まだ知られていないことがたくさんあるからね」

 旧準備室を出ると、廊下の向こうから白石先生が歩いてきた。

「見つけたようだね」

「先生、この人って……」

「十年前の記念行事を手伝っていた卒業生だよ。昔の記録を整理するために、学校に協力してくれているんだ」

 先生は、湊たちの手元にあるノートを見て、安心したようにうなずいた。

「これで、七つの怪異の記録も、ようやく完成だね」

「先生は、最初から知っていたんですか?」

 ひよりが尋ねる。

「七つの怪異が記念行事の企画だったことは知っていた。でも、すべての仕掛けまでは知らなかったよ。だから、君たちが調べているときも、答えを教えなかったんだ」

「なるほど……」

 湊は、ノートを胸に抱えた。

 七つの怪異は、すべて解けた。

 けれど、湊はもう、学校の不思議な噂を聞いても、ただ怖がるだけではなくなっていた。

 何かがおかしいと思ったら、まず調べてみる。

 よく見て、よく聞いて、仲間と考える。

 それが、怪異調査クラブのやり方だった。

「なあ、二人とも」

 校門へ向かう途中、湊は足を止めた。

「明日からも、調査を続けないか?」

「えっ、まだやるの?」

 蓮が目を丸くする。

「だって、この学校にはまだ不思議なことがあるかもしれないだろ」

 ひよりは、手にした新しいノートを開いた。

 最初のページに、丁寧な文字で書き込む。

『怪異調査クラブ・活動記録』

 その下に、三人の名前。

 そして、今日の日付。

「いいんじゃないかな。今度は、私たちが見つけた謎を記録していこう」

「決まりだな!」

 蓮が笑う。

 夕焼けの下、三人は並んで歩き出した。

 その背後で、古い校舎の窓が夕日を反射して、ほんの一瞬だけ白く光った。

 湊は振り返った。

 そこには、いつもと変わらない校舎があるだけだった。

「……今の、何か見えた?」

「夕日の反射じゃない?」

 ひよりが答える。

「だよな。きっとそうだよな」

 蓮は、少しだけ早足になった。

 三人の笑い声が、夕暮れの校庭に響く。

 七つの怪異は、もう怖い謎ではない。

 それは、十年前の子どもたちが残した、未来への小さな挑戦状だった。

 そして今、その続きを引き継いだ三人の、新しい物語が始まろうとしていた。
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