放課後、怪異調査クラブ
存在しない第八の怪異
七つの怪異を解き明かしてから、一週間が過ぎた。
朝倉湊たちが結成した「怪異調査クラブ」は、毎日のように活動していたわけではない。
放課後に集まってノートを整理したり、校内で見つけた不思議なものを記録したり。そんな穏やかな日々が続いていた。
「なあ、最近ちょっと平和すぎないか?」
昼休み、蓮が机に頬杖をつきながら言った。
「平和なのはいいことでしょ」
ひよりは弁当を食べながら、呆れたように返した。
「いや、そうなんだけどさ。せっかく怪異調査クラブなんて名前をつけたのに、調査するものがないんじゃ、ちょっと寂しいじゃん」
「この前、校庭の隅に落ちていた古い鍵を調べたじゃない」
「あれは用務員さんの鍵だっただろ! 怪異でも何でもなかった!」
「だから、ちゃんと調査した結果が出たんでしょ」
湊は二人のやり取りを聞きながら、苦笑した。
七つの怪異を解決したあの日から、湊の中では一つの考えが変わっていた。
不思議な出来事が起きたからといって、すぐに幽霊や怪物の仕業だと決めつける必要はない。
見て、聞いて、調べて、考える。
その先に、きっと答えがある。
だからこそ、今の穏やかな日々にも不満はなかった。
――少なくとも、その日の放課後までは。
*
六時間目が終わり、教室に帰ってきた湊は、自分の机の上に一冊のノートが置かれていることに気づいた。
「……ん?」
見覚えのないノートだった。
表紙は古びた灰色で、角が擦り切れている。名前も、クラスも、持ち主を示すものは何も書かれていなかった。
ただ、表紙の中央に、黒い文字でこう記されていた。
『怪異調査記録』
湊は思わず息を止めた。
それは、七つの怪異を調べるきっかけになった、あの古いノートと同じ題名だった。
「湊、どうしたの?」
帰り支度をしていたひよりが、机のそばまでやってくる。
「これ、俺のじゃないんだけど……」
蓮も顔を出し、表紙をのぞき込んだ。
「また怪異調査記録? 誰かのいたずらじゃないのか?」
「そうかもしれない。でも、誰が置いたんだろう」
湊は教室を見回した。
残っている生徒は数人だけだった。誰かが置いたところを見た人はいないらしい。
ひよりはノートの表紙をじっと見つめたあと、慎重に尋ねた。
「開いてみる?」
「うん」
湊が最初のページをめくる。
そこには、日付も名前も書かれていなかった。
二ページ目も、三ページ目も同じだった。
ところが、最後のページに差しかかったとき、三人の手が止まった。
そこには、見覚えのある七つの怪異の名前が並んでいた。
音楽室のピアノ。
理科室の人体模型。
誰もいない教室から聞こえる声。
図書室の動く本。
階段の段数。
夜の白い影。
そして、七番目の怪異。
その下に、見慣れない一文が書かれていた。
『七つの怪異を解いた者へ。
第八の怪異を探してはいけない』
「……第八の怪異?」
蓮が、いつになく真剣な声でつぶやいた。
ひよりはすぐにノートを閉じず、文字をじっくり観察した。
「ちょっと待って。この紙、ほかのページと違う」
「どういうこと?」
「最後のページだけ、新しい紙なの。表紙は古いけど、ここだけ最近になって付け足された可能性がある」
湊はページの端を確かめた。
確かに、最後の一枚だけ紙の色がわずかに違っていた。
古いノートに見せかけて、誰かが新しいページを加えたのだろうか。
「でも、どうして『探してはいけない』なんて書くんだ?」
蓮が首をかしげる。
「探してほしくないなら、わざわざこんなことを書かなくてもいいはずだよね」
ひよりの言葉に、湊はうなずいた。
誰かが本当に秘密を隠したいのなら、何も書かなければいい。
それなのに、わざわざ三人の目に触れる場所へノートを置いた。
まるで、三人がこれを見つけることを知っていたかのように。
「……これ、俺たちに向けたものなのかな」
湊がそう言ったときだった。
教室の入口から、声が聞こえた。
「朝倉くん。まだ帰っていなかったのかい?」
白石先生だった。
湊は振り返り、ノートを持ち上げた。
「先生、これを見ませんでしたか?」
白石先生はノートを見た瞬間、ほんのわずかに表情を変えた。
驚いたような、何かを思い出したような顔だった。
しかし、それはすぐにいつもの穏やかな表情に戻った。
「……それは、どこにあったんだい?」
「俺の机の上です。誰が置いたのかは分かりません」
先生はしばらく黙っていた。
やがて、ノートに触れないまま、静かに尋ねた。
「最後のページには、何と書いてある?」
湊とひよりは顔を見合わせた。
「第八の怪異を探してはいけない、って」
その言葉を聞いたとき、先生の表情から笑みが消えた。
「……そうか」
短い返事だった。
「先生、何か知っているんですか?」
ひよりが尋ねる。
先生はすぐには答えなかった。
窓の外へ視線を向け、夕暮れの校庭を見つめていた。
「君たちは、七つの怪異を解き明かしたね」
「はい」
「なら、覚えているだろう。最後に渡された記録に、何と書かれていたか」
湊は、旧準備室で読んだ言葉を思い出した。
『怖いものを見たとき、すぐに正体を決めつけてはいけない』
「よく見て、よく聞いて、考えること……ですよね」
「そうだ」
先生はうなずいた。
「だから、今回もすぐに怖がる必要はない。ただし、正体が分からないものを、分かったつもりになるのもいけない」
「つまり、調べてもいいってことですか?」
蓮が身を乗り出す。
「私は、調べるなとも、調べろとも言っていないよ」
「先生、それってずるくないですか?」
「先生というのは、ときどき答えを教えないものなんだ」
先生は少しだけ笑った。
しかし、教室を出ていく直前、もう一度ノートを振り返った。
「ただ、一つだけ伝えておこう」
三人は黙って先生を見つめた。
「十年前の記念行事で作られた記録には、第八の怪異なんてものは存在しなかった。少なくとも、私が知る限りではね」
そう言い残し、先生は廊下へ出ていった。
教室には、三人だけが残された。
*
「……どうする?」
蓮が尋ねた。
いつもの軽い調子は、すっかり消えていた。
ひよりはノートを閉じ、表紙を指でなぞった。
「まずは、このノートがいつ作られたものなのか調べたい。紙も、文字も、古い記録と比べれば何か分かるかもしれない」
「それと、誰が置いたのかだな」
湊は教室の入口を見つめた。
ノートを置いた人物は、湊たちが七つの怪異を解決したことを知っている。
しかも、わざわざ次の謎を残した。
偶然とは思えなかった。
「明日、図書室で調べよう」
湊が言うと、二人はうなずいた。
その日はノートをひよりのかばんに入れ、三人そろって帰ることにした。
校門を出るころには、空はすっかり暗くなり始めていた。
いつも通る道。
いつも見る家並み。
何も変わらない帰り道のはずなのに、湊の頭からは、あの一文が離れなかった。
『第八の怪異を探してはいけない』
探してはいけないと言われると、どうしても気になってしまう。
けれど、ただ好奇心に任せて動けば、見落としてしまうものもあるだろう。
湊は、明日は慎重に調べようと心に決めた。
*
その夜。
湊は机に向かい、学校で見つけたノートのことを考えていた。
七つの怪異は、十年前の子どもたちが作った校内探検の企画だった。
仕掛けには古い設備が使われ、光や音の錯覚も利用されていた。
すべてに説明がついたはずだった。
それなのに、なぜ今になって、新しい謎が現れたのだろう。
湊は、調査クラブのノートを開いた。
今日の日付の下に、ゆっくりと書き込む。
『新たな調査対象――第八の怪異』
その下に、もう一つの言葉を記した。
『調査の目的:ノートを置いた人物と、その理由を突き止める』
書き終えたとき、湊のスマートフォンが震えた。
ひよりからのメッセージだった。
『ノートの最後のページ、もう一つ気になることがあるの』
続けて、写真が送られてくる。
最後のページを撮影したものだった。
湊は画面を拡大した。
注意書きの下、紙の端に、小さな文字が隠れていた。
教室で見たときには、気づかなかった文字。
そこには、こう書かれていた。
『最初の場所に、まだ一つ残っている』
湊は息をのんだ。
最初の場所。
七つの怪異を調べるきっかけになった、あの場所。
――図書室。
湊はすぐに返信した。
『明日、図書室から調べよう』
送信した直後、もう一度メッセージが届いた。
今度は蓮からだった。
『そういえばさ。今日、帰るときに旧校舎の窓を見たんだけど』
湊は画面を見つめた。
『誰もいないはずの教室に、机が一つだけ置いてあったんだ。あれ、前からあったっけ?』
その写真も添付されていた。
暗い旧校舎の窓。
その向こうに、確かに一つの机が見える。
机の上には、白い紙が置かれていた。
写真を拡大すると、紙には黒い文字が書かれていた。
『八番目は、まだ始まっていない』
湊はしばらく、その文字を見つめていた。
七つの怪異は、すでに解決した。
それなのに、誰かが新しい謎を用意している。
しかも、その人物は、三人の行動を知っているようだった。
「……面白くなってきたな」
湊は、調査クラブのノートを閉じた。
怖くないと言えば、嘘になる。
けれど、それ以上に知りたかった。
第八の怪異とは何なのか。
誰がノートを置いたのか。
そして、なぜ「まだ始まっていない」と書かれているのか。
答えは、明日の学校にあるはずだった。
湊は机の明かりを消した。
窓の外には、静かな夜が広がっていた。
その夜、旧校舎の教室に置かれた一枚の紙は、誰にも見つからないまま、机の上に残されていた。
紙の裏側には、もう一行だけ、文字が書かれていた。
『次に調べるのは、君たち自身だ』