放課後、怪異調査クラブ
放課後の目撃者
「十三番を探しているなら、黒田直人の名前を追うな。彼は、記録係ではない」
机の上に置かれた手紙を、湊はもう一度読み返した。
裏面には、短い一文が残されている。
――答えは、次の放課後に。
「……つまり、今日の放課後に何かが起こるってこと?」
ひよりが手帳を開きながら尋ねた。
「そう考えるのが自然だな」
蓮は椅子の背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。
「でも、わざわざ黒田直人は記録係じゃないって教えてくるのが気になる。俺たちがあの人を疑うことを、誰かが知ってたってことだろ?」
「それに、この手紙を書いた人は、十三番について何か知っている」
湊は手紙の端を指で押さえた。
「だったら、今日の放課後、相手が現れるのを待ってみよう」
ひよりは少し不安そうな顔をしたが、やがてうなずいた。
「ただし、勝手に旧校舎の奥へ入ったりはしないこと。白石先生にも話しておこう」
「はいはい。さすが、調査クラブのしっかり者」
「蓮くんも、今日はふざけないでよね」
「俺はいつだって真剣だぞ?」
「その言葉、初めて聞いたかも」
「おい!」
いつものやり取りに、湊は小さく笑った。
けれど、手紙をしまうとき、その表情はすぐに引き締まった。
十年前の記録係。
消された十三番の名前。
そして、七つの怪異とは別に作られた第八の怪異。
それらをつなぐ人物は、確かにどこかにいる。
問題は、その人物がなぜ今になって動き始めたのか、ということだった。
*
放課後。
三人は白石先生と一緒に、旧校舎へ続く廊下の入口にいた。
校舎の窓から差し込む夕日が、床に長い四角形を作っている。
昼間は何でもない場所なのに、夕方になると少しだけ違って見える。
それは、これまでの調査で何度も感じたことだった。
「先生、十年前の卒業生について、ほかに何かわかりませんか?」
湊が尋ねると、白石先生は考えるように顎に手を当てた。
「そうだな……黒田直人という名前は、さっき調べた卒業生名簿にあっただろう。けれど、記念行事の企画に参加していたかどうかまでは、まだ確認できていない」
「手紙には、記録係ではないって書いてありました」
「それが本当なら、彼は別の立場で第八地点に関わっていたのかもしれないね」
先生は旧校舎の方を見た。
「ただ、十年前のことを知っている人は、ほかにもいるはずだ。記念行事の準備を手伝った人や、当時の校舎を管理していた人もいる」
「校舎を管理していた人……」
ひよりがつぶやいた。
そのときだった。
廊下の向こうから、ゆっくりと歩いてくる人影が見えた。
灰色の上着を着た、年配の男性だった。
男性は三人と先生の前で立ち止まり、旧校舎の入口を見上げた。
「君たちが、最近この学校の古い記録を調べている子たちかい?」
湊たちは顔を見合わせた。
「はい。そうですけど……」
男性は少しだけ目を細めた。
「やっぱりそうか。昨日、校長先生から話を聞いてね。昔の物置を調べていたそうじゃないか」
「あなたは?」
ひよりが尋ねると、男性は穏やかに頭を下げた。
「私は、この学校で長いこと用務員をしていた者だよ。今は退職しているが、十年前の記念行事のときも、ここで働いていたんだ」
湊の胸が高鳴った。
十年前。
七十周年記念行事。
まさに、今追いかけている謎につながる時期だった。
「それなら、第八地点について何か知っていますか?」
湊が尋ねると、男性はすぐには答えなかった。
代わりに、旧校舎の窓をじっと見つめた。
「……第八地点、か」
その声には、どこか懐かしむような響きがあった。
「その名前を、今でも覚えている子がいるとは思わなかったよ」
*
男性の名前は、佐伯というらしかった。
白石先生の許可を得て、三人は佐伯さんと一緒に、旧校舎の入口近くにある小さな談話スペースへ移動した。
佐伯さんは、当時のことをゆっくりと話し始めた。
「七十周年の記念行事では、子どもたちが学校の中を探検できるように、いろいろな仕掛けを作ったんだ。音が鳴るようにしたり、光の反射を利用したりね」
「七つの怪異のことですね」
ひよりが言った。
「そう。あれは、子どもたちが自分たちで考えた企画だった。先生たちも協力していたよ」
「じゃあ、第八地点も、そのときに作られたんですか?」
蓮の質問に、佐伯さんは首を横に振った。
「いや。少なくとも、正式な企画には入っていなかった」
「正式な企画には……?」
「ある日の夕方、旧校舎の片づけをしていたら、机が一つ置かれていたんだ。誰も使っていない教室にね。机の上には紙が一枚あって、そこには『八番目は、まだ始まっていない』と書かれていた」
三人は息をのんだ。
それは、湊たちが旧校舎で見つけた紙と同じ言葉だった。
「佐伯さんは、その机を見たんですか?」
「ああ。私は最初、行事の準備で誰かが置き忘れたものだと思った。でも、翌日には机がなくなっていたんだ」
「誰が片づけたんですか?」
「それが、わからない。私はその日、別の場所で修理をしていたからね」
蓮が身を乗り出した。
「じゃあ、机を置いた人もわからない?」
「顔までは見ていない。ただ、一つだけ覚えていることがある」
佐伯さんは、少し声を落とした。
「その日の夕方、旧記録庫の近くで、ノートを抱えた子どもを見かけたんだ」
湊の表情が変わった。
「ノート……?」
「表紙が暗い色でね。ずいぶん大事そうに抱えていた。私が声をかけようとしたら、その子はすぐに廊下の向こうへ行ってしまったんだよ」
「その子の顔は覚えていますか?」
ひよりが尋ねた。
「残念だが、はっきりとは。遠かったし、夕方で暗くなり始めていたからね。ただ……」
佐伯さんは、少し迷ってから続けた。
「その子は、机の方ではなく、図書室の方を何度も気にしていた」
「図書室?」
湊はひよりと顔を見合わせた。
最初の怪異調査記録が見つかった場所。
十年前の新聞記事が保管されていた場所。
そして、第十三番の記録を保管した場所に関する手がかりが残されていた場所。
図書室は、最初から何度も謎の中心に現れている。
「その子が記録係だった可能性はありますか?」
湊が尋ねると、佐伯さんはゆっくりとうなずいた。
「可能性はある。だが、私には断言できない。あの子が何を考えていたのかも、何を守ろうとしていたのかも、わからないからね」
「何かを守ろうとしていた……?」
ひよりが、その言葉を繰り返した。
「そう感じたんだよ。あのノートを抱える様子がね。誰かに見られたくないというより、なくしてはいけないものを持っているように見えたんだ」
談話スペースに、しばらく沈黙が流れた。
やがて、蓮が口を開いた。
「佐伯さん。その子について、ほかに何か覚えていませんか? 持っていたものとか、服装とか」
「そうだね……」
佐伯さんは記憶をたどるように目を閉じた。
「ノートの表紙に、小さな三角形が描かれていた気がする」
三人は同時に顔を上げた。
三角形。
それは、七つの怪異をつないでいた記号の一つだった。
円が始まり。
三角形が案内役。
四角形が終点。
けれど、佐伯さんが見たノートには、案内役を示す三角形が描かれていた。
「そのノート、もしかして……」
湊は言いかけて、口を閉じた。
まだ、決めつけるわけにはいかない。
ノートが同じものだったという証拠はないし、三角形が描かれていたからといって、記録係だと断定することもできない。
これまでの調査で、湊たちは何度も学んでいた。
似ていることと、同じであることは違う。
「佐伯さん、今日はありがとうございました」
ひよりが丁寧に頭を下げた。
「いやいや。私の話が役に立ったならよかったよ。ただ、一つだけ気をつけてほしい」
佐伯さんは、三人を順番に見た。
「十年前の記録を調べていると、どうしても、誰か一人を犯人のように考えてしまうことがある。でも、あの企画に関わった子どもたちは、みんなそれぞれの思いで動いていたんだ」
その言葉は、湊の胸に残った。
「誰かを疑う前に、何があったのかを確かめてほしい。私は、それだけを願っているよ」
*
佐伯さんと別れたあと、三人は図書室へ向かった。
窓の外は、すっかり夕焼けに染まっていた。
「図書室に戻ってきたね」
ひよりが、手帳を開いた。
「佐伯さんの話と、今までの記録を整理してみよう」
湊はうなずいた。
「十年前、旧校舎に机が置かれていた。その机には、第八の怪異を思わせる紙があった」
「そして、同じ日の夕方に、三角形の描かれたノートを持った子どもが、旧記録庫の近くにいた」
蓮が指を一本立てた。
「でも、その子が机を置いたとは限らない。ノートを持っていただけかもしれない」
「そう。机を置いた人と、記録係が同じ人物なのかも、まだわからない」
湊は図書室の扉を開けた。
中には、いつもと変わらない本棚が並んでいた。
七つの怪異を追いかけていたころ、湊たちはこの場所で古い記録を見つけた。
そして今、再びここへ戻ってきた。
「最初の場所の近くに、記録を保管した」
湊は、第十四話で見つけたメモの言葉を思い出した。
「記録係本人が最後の答えを持っている、とも書いてあったよね」
ひよりは、本棚の間をゆっくりと歩いた。
「なら、図書室のどこかに、まだ調べていないものがあるのかもしれない」
「よし。手分けして探そう」
三人は、十年前の記念行事に関する資料が並ぶ棚を調べ始めた。
新聞の切り抜き。
行事の予定表。
参加者の感想文。
写真を整理したアルバム。
どれも一度は確認した資料だった。
しかし、今度は少し違う。
湊たちは、記録係が残したものだけではなく、記録係について書かれたものを探していた。
「……あれ?」
やがて、ひよりが一冊の薄いファイルを取り出した。
表紙には、手書きでこう書かれていた。
『七十周年記念行事・落とし物一覧』
「こんな資料、前にあった?」
蓮がのぞき込む。
「少なくとも、私が調べた参加者名簿の箱には入っていなかったよ」
ファイルを開くと、鉛筆で書かれた一覧が現れた。
消しゴムで何度も消された跡があり、ところどころ文字が薄くなっている。
その中に、こんな記載があった。
――黒い表紙のノート、一冊。
――発見場所、図書室前の廊下。
――持ち主、未確認。
――備考、表紙に三角形の印あり。
湊は、思わず息を止めた。
「これって……」
「佐伯さんが見たノートと、特徴が似てる」
ひよりは、すぐに記録を手帳へ書き写した。
蓮はファイルの後ろを確認した。
「待て。こっちにも何かあるぞ」
最後のページには、一覧とは違う筆跡で、短い文章が書かれていた。
――このノートは、落とし物ではありません。
――持ち主が戻るまで、ここには記録しないでください。
その下には、日付が記されていた。
七十周年記念行事が終わった、三日後。
「誰かが、わざわざ落とし物として扱わないように書いたんだ」
湊は、文章を見つめた。
「つまり、ノートを拾った人は、持ち主が戻ってくることを知っていたのかもしれない」
「それとも、持ち主が戻ってくるまで、ほかの人に見つけられたくなかったのかも」
ひよりが言った。
「どっちにしても、このノートは十年前の第八地点とつながっている可能性が高い」
蓮は、ファイルを閉じた。
「でも、持ち主の名前はない。十三番の正体もわからない。これだけじゃ、まだ足りないな」
そのとき、湊の目に、ファイルの背表紙が留まった。
紙が少し浮き上がっている。
不思議に思って端を持ち上げると、薄い紙片が一枚、挟まっていた。
紙片には、短い言葉が書かれていた。
――記録係は、名前を消されたのではない。名前を残さないことを、自分で選んだ。
「……どういう意味だ?」
蓮の声が、いつになく真剣になった。
ひよりも、すぐには答えられなかった。
名前を消された記録係。
そう考えていた。
けれど、本当は違うのだろうか。
記録係は、誰かに名前を消されたのではなく、自分の意思で名前を残さなかった。
それなら、なぜ?
何を守るために?
湊は紙片を丁寧にノートへ挟んだ。
「この言葉を書いた人が、記録係本人なのかはわからない。でも、少なくとも、誰かはそう考えていたんだ」
「名前を隠す理由があったってことだね」
ひよりが静かに言った。
「その理由がわかれば、第八の怪異の正体にも近づけるかもしれない」
蓮は窓の外へ目を向けた。
校庭には、もうほとんど人影がなかった。
「なあ。今日の手紙を書いた人、俺たちがここに来ることまで予想していたのかな」
湊は答えなかった。
手紙には、放課後に答えがわかると書かれていた。
確かに、今日、佐伯さんという目撃者に出会った。
しかし、佐伯さんが手紙を書いた証拠はない。
それに、図書室で見つけたファイルのことを、手紙の人物が知っているとも限らない。
すべてを一つの筋書きに当てはめるのは、まだ早かった。
「明日、もう一度、十年前の資料を調べよう」
湊は言った。
「今度は、記録係が何を残したかだけじゃなくて、どうして名前を残さなかったのかを考えるんだ」
ひよりは手帳を閉じ、蓮は小さくうなずいた。
三人が図書室を出ようとした、そのときだった。
机の上に置いていたファイルの間から、もう一枚、紙片が滑り落ちた。
さっきの紙片とは違う。
こちらには、見覚えのある三つの記号が並んでいた。
円。
三角形。
四角形。
そして、その下には一文。
――七つの怪異が終わった場所から、記録係の物語を始めなさい。
「七つの怪異が、終わった場所……?」
湊はつぶやいた。
それは、七つの謎を解いたあと、三人が最後に訪れた場所。
白い案内人が待っていた、旧準備室だった。
けれど、あの部屋にはもう、すべての謎を解いたと思えるだけの答えがあったはずだ。
それなのに、まだ何かが残されているというのか。
湊は紙片を見つめたまま、しばらく動けなかった。
七つの怪異は、確かに終わった。
しかし、その終わりは、第八の怪異にとっての始まりだったのかもしれない。
そして今度こそ、三人はその理由を確かめなければならない。
第八の怪異は、誰が、何のために作り出したのか。
答えは、十年前の記録の中に眠っている。
その記録を守り続けてきた人物は、まだ名前を明かしていなかった。