放課後、怪異調査クラブ
消された八番目の記録
翌日の放課後。
湊、ひより、蓮の三人は、旧校舎へ続く廊下を歩いていた。
昨日、図書室で見つけた紙片には、こう書かれていた。
――七つの怪異が終わった場所から、記録係の物語を始めなさい。
その言葉が示す場所は、ほぼ間違いなく旧準備室だった。
七つの怪異を解き明かした最後の場所。
白い案内人が、三人を待っていた場所。
そして、第八の怪異について初めて考え始めた場所でもある。
「結局、またここに戻ってくることになるんだな」
蓮が旧準備室の扉を見上げた。
「最初に来たときは、これで全部終わりだと思ったのに」
「終わったのは、七つの怪異だけだったんだよ」
湊は扉の取っ手に手をかけた。
「第八の怪異は、あの七つとは別に作られたもの。だから、最初から調べ直す必要があるのかもしれない」
ひよりは手帳を開いた。
「昨日見つけた記録によると、記録係は自分の名前を残さないことを選んだ可能性がある。もしそうなら、名前を探すだけじゃ答えにたどり着けないよね」
「じゃあ、何を探すんだ?」
「名前を残さなかった理由。それから、記録係が何を伝えようとしていたのか」
湊はうなずいた。
「よし。まずは、この部屋に残っているものをもう一度確認しよう」
扉を開くと、静かな空気が三人を迎えた。
窓から差し込む午後の日差しが、床の上に細長い光を落としている。
部屋の隅には、以前と同じように白い案内用の人形が置かれていた。
その姿を見た蓮が、少しだけ眉を上げる。
「こいつ、前よりこっちを見てる気がするんだけど」
「人形の向きが変わっているだけでしょ」
「わかってるって。でも、こういう場所にいると、つい気になるんだよ」
「それも、怪異調査クラブの活動のうちなのかもしれないね」
湊が笑うと、ひよりも小さく笑った。
けれど、三人はすぐに調査へ戻った。
以前、この部屋にあった資料は一通り確認している。
それでも、今回は見落としがないよう、棚の中や机の裏まで丁寧に調べることにした。
最初に動いたのは、ひよりだった。
「ねえ、湊くん。これ、覚えてる?」
彼女が指さしたのは、壁際に置かれた古い木箱だった。
七つの怪異に関する資料をまとめていた箱で、前回の調査でも中身を確認している。
「確か、記念行事の記録が入っていた箱だよね」
「そう。でも、底の部分に少し隙間があるの」
ひよりが箱を慎重に持ち上げると、底板の端がわずかに浮いていた。
蓮が近づいて、隙間をのぞき込む。
「これ、最初からこうなってたのか?」
「わからない。でも、底板を外せるようになっているみたい」
三人は顔を見合わせた。
もちろん、すぐに何かが隠されていると決めつけることはできない。
古い木箱なら、板がゆるんでいるだけかもしれない。
そこで、三人は白石先生を呼び、許可を得てから箱を確認することにした。
しばらくして戻ってきた先生の立ち会いのもと、底板を慎重に持ち上げる。
すると、その下から一枚の紙が現れた。
小さく折りたたまれた、古い紙だった。
「こんなところに……」
湊は息をのんだ。
紙には、鉛筆で書かれた文字が並んでいた。
ただし、文字の一部は薄くなっていて、すべてを読むことはできない。
ひよりが明るい場所へ紙を移し、慎重に読み上げた。
「『七つの怪異の記録は、これで終わりとする』……その下に、『ただし、第八地点については、ここに記さない』って書いてある」
「やっぱり、第八地点の記録があったんだな」
蓮が言った。
湊は続きを読もうとしたが、文章はそこで途切れていた。
紙の下半分が、きれいに切り取られていたのだ。
「破れたというより、誰かが切り取ったみたいだね」
ひよりが紙の端を確認する。
「でも、どうしてここだけ?」
湊は考え込んだ。
第八地点の記録は、ほかの資料からも切り離されていた。
参加者名簿の十三番。
記録係の名前。
そして、今回見つかった紙の下半分。
まるで、誰かが意図的に、特定の情報だけを残さないようにしているみたいだった。
けれど、昨日見つけた紙片には、こう書かれていた。
――記録係は、名前を消されたのではない。名前を残さないことを、自分で選んだ。
「もし、この紙を切り取ったのが記録係本人だったら……」
湊がつぶやく。
「自分の名前だけじゃなく、第八地点のことも、ほかの人に知られないようにしたかったのかもしれない」
「でも、それなら、どうして第八地点の手がかりを残したんだろう?」
ひよりの問いに、湊は答えられなかった。
隠したかったのか。
それとも、いつか誰かに見つけてほしかったのか。
二つの考えは、正反対のように見える。
しかし、どちらか一方だけが正しいとは限らなかった。
*
そのとき、白石先生が静かに口を開いた。
「一つ、思い出したことがあるよ」
三人が振り返る。
「十年前の記念行事が終わったあと、先生たちの間で、小さな話題になったことがあったんだ」
「話題、ですか?」
「ああ。行事で使った資料の一部が、予定していた保管場所とは違う場所に移されていたんだよ」
湊は身を乗り出した。
「それって、第八地点の資料ですか?」
「そこまではわからない。ただ、当時の先生が、誰かに頼まれて資料を別の場所へ移したと言っていたのを覚えている」
「誰に頼まれたんですか?」
「それは、聞いていなかったんだ。私も当時は子どもだったからね」
先生は少し申し訳なさそうに笑った。
「ただ、その話をしていた先生は、こう言っていたよ。『あの子は、自分の名前が残ることを嫌がっていた』と」
湊たちは、思わず顔を見合わせた。
名前が残ることを嫌がっていた。
それは、昨日の紙片に書かれていた内容と一致している。
「先生、その話をしていた先生は、今も学校にいらっしゃいますか?」
ひよりが尋ねた。
「残念だけど、もう退職されているよ。ただ、当時の学校行事に関する記録は、職員室の保管庫に残っているはずだ」
「そこに、資料を移した記録があるかもしれない!」
湊の声が弾んだ。
白石先生はうなずいた。
「確認してみよう。大切な資料だから、私から管理している先生にお願いしてみるよ」
三人は、旧準備室を出る前に、見つけた紙を元の場所へ戻さず、白石先生に預けることにした。
古い記録を扱うときは、発見した場所や状態を残しておくことが大切だ。
それもまた、今回の調査で学んだことだった。
*
職員室の保管庫で確認できたのは、十年前の記念行事に関する簡単な引き継ぎ資料だった。
参加者名簿や行事の予定表とは違い、こちらは先生たちが管理のために作った記録らしい。
その中に、ひよりが気になる一文を見つけた。
「『記録資料の一部を、本人の希望により旧記録庫付近へ移動』……これだよ!」
湊と蓮が、すぐに資料をのぞき込む。
日付は、七十周年記念行事が終わった三日後。
図書室で見つけた落とし物一覧と、同じ日だった。
「やっぱり、あの日に何かがあったんだ」
湊が言った。
「でも、移動した資料の名前は書かれていないね」
ひよりは、次の行を確認した。
そこには、別の短い記載があった。
――保管場所については、記録係本人にのみ伝達済み。
「記録係本人にのみ……」
蓮は腕を組んだ。
「つまり、先生たちも、どこに何を移したのか、全部は知らなかったってことか」
「そう考えられるね」
湊は資料の端を見つめた。
記録係は、学校の大人たちに協力してもらいながらも、自分の記録をすべて公開することは望んでいなかった。
その理由は、まだわからない。
ただ、記録係が単に名前を隠したかっただけではないことは、少しずつ見えてきた。
自分が何を記録し、何を残さないか。
その選択そのものを、大切にしていたのかもしれない。
「ねえ、湊くん」
ひよりが、別のページを指さした。
「これ、見て」
そこには、記念行事の後片づけを手伝った人たちの名前が並んでいた。
その中に、黒田直人の名前もあった。
「黒田直人……!」
蓮が声を上げた。
「やっぱり、関係者だったんだ」
「でも、手紙には、記録係ではないって書いてあったよね」
湊は名前の横にある記載を読んだ。
――備品の運搬、机の整理、旧校舎の片づけ。
それだけだった。
記録係としての役割は、どこにも書かれていない。
「黒田直人は、後片づけを手伝った人だったんだ」
ひよりが言った。
「第八地点に関わるものを運んだ可能性はあるけど、記録係だったとは限らない」
「じゃあ、あの手紙を書いた人は、俺たちが黒田直人を記録係だと思い込むのを防ぎたかったのかもしれないな」
蓮の言葉に、湊はうなずいた。
黒田直人の名前は、確かに第八地点に近い場所にあった。
しかし、それだけで記録係だと決めつけることはできない。
むしろ、今までの手がかりは、記録係が別にいたことを示していた。
「黒田直人さんが何を知っているのかは、まだ確認する必要がある。でも、今は記録係本人について、もう少し調べよう」
湊は資料を閉じた。
「名前を残さなかった理由がわかれば、どうして第八の怪異を作ったのかも見えてくるはずだから」
*
その日の調査を終えた三人は、帰る前に図書室へ立ち寄った。
昨日見つけた『落とし物一覧』を、もう一度確認するためだった。
黒い表紙のノート。
表紙に描かれた三角形。
そして、持ち主が戻るまで記録しないようにという指示。
それらを思い返しながら、湊はファイルの最後のページをめくった。
すると、昨日は気づかなかった小さな文字が、紙の端に残っていることに気づいた。
「……これ、何だ?」
ひよりと蓮も近づいた。
文字はとても薄かったが、確かに読めた。
――返却先:旧記録庫。
その下には、別の筆跡で、さらに小さな一文が書かれていた。
――本人が来なければ、次の記録係へ渡すこと。
「次の記録係……?」
ひよりが、驚いたように言った。
「記録係って、一人だけじゃなかったの?」
「いや、これは、次の人に引き継ぐ予定だったってことかもしれない」
湊は慎重に答えた。
「ただ、実際に引き継がれたのかどうかは、まだわからない」
蓮は、ファイルをじっと見つめた。
「もし引き継がれていたら、今の第八の怪異を作った人は、十年前の記録係本人じゃない可能性もあるってことだよな」
その言葉に、三人は黙り込んだ。
十年前に第八地点を作った人物。
名前を残さなかった記録係。
そして、今になって新しい手がかりを残している人物。
その三者は、同じ人物なのだろうか。
それとも、十年という時間の中で、誰かから誰かへと謎が受け継がれてきたのだろうか。
湊は、手帳に新しい項目を書き加えた。
「第八の怪異は、誰か一人の秘密ではなく、引き継がれてきた記録なのかもしれない」
書き終えたところで、ひよりが窓の外を見た。
「あ……誰かいる」
校庭の向こう、旧校舎の入口付近に、人影があった。
遠くて顔は見えない。
その人物は、しばらく旧校舎を見上げていたが、三人が窓辺に近づいたことに気づいたのか、ゆっくりと歩き出した。
「待って!」
蓮が窓から声をかけた。
しかし、人影は振り返らなかった。
そのまま校舎の角を曲がり、見えなくなってしまった。
「今の人……」
湊は、窓の外を見つめた。
手紙を残した人物なのか。
十年前の記録係なのか。
それとも、まったく別の人物なのか。
まだ何もわからない。
けれど、一つだけ確かなことがあった。
第八の怪異は、過去に作られたまま、ただ残されているだけではない。
今も誰かが、その謎に関わり続けているのだ。
湊は手帳を閉じた。
「明日は、旧記録庫をもう一度調べよう。今度は、引き継ぎの記録が残っていないか確認するんだ」
「うん」
「了解。今度こそ、記録係の正体に近づけるといいな」
三人は図書室を後にした。
夕焼けの残る廊下を歩きながら、湊はふと考えた。
十年前の記録係は、なぜ名前を残さなかったのだろう。
そして、その意思を知る人物は、なぜ今になって自分たちを導いているのだろう。
謎は、少しずつ形を変えている。
七つの怪異を解いたときには見えなかったものが、今は確かに見え始めていた。
それは、誰かが隠した秘密というよりも、誰かが未来へ託した物語のようだった。
そして、その物語の続きを知るためには、もう一度、十年前の記録係が立っていた場所へ戻らなければならない。
第八の怪異は、まだ終わっていない。