放課後、怪異調査クラブ
誰もいない教室からの声
理科室で見た、白い人影。
あれは本当に何だったのだろう。
次の日の放課後、朝倉湊は、授業中もそのことばかり考えていた。
「ねえ、湊。先生の話、聞いてた?」
隣の席から水瀬ひよりが小声で尋ねた。
「聞いてたよ。えっと……理科の実験で使う薬品の話だろ?」
「それ、今は国語」
「……あ」
ひよりは、はあ、とため息をついた。
「昨日の白い影が気になるのは分かるけど、授業中くらい集中しなよ」
「だってさ、あんなの見たら気になるだろ。蓮だってそう思うよな?」
湊が後ろを振り返ると、黒田蓮は机の下で何かをいじっていた。
「ん? ああ、白い影の話?」
「お前、聞いてたのかよ!」
「聞いてた聞いてた。あとで話す」
蓮は、手の中に隠していた小さな懐中電灯を見せた。
「……何それ?」
「昨日の影の正体を調べるための道具。まあ、正確にはその準備だな」
蓮は得意げに笑った。
けれど、ひよりは懐中電灯を見て首をかしげた。
「それだけで分かるの?」
「分かるかどうかは、今日の調査次第ってこと!」
*
放課後。
三人は、昨日の理科室での出来事を白石先生に報告した。
「白い人影を見た、か」
先生は少し考え込むように、顎に手を当てた。
「その影を見たとき、理科室の中には誰かいたのか?」
「ぼくたち三人だけです。窓の外に何かが見えた気がして……」
湊が答えると、先生は窓の方へ目を向けた。
「そうか。なら、今日は四時ごろに旧校舎側の廊下を調べてみるといい」
「旧校舎側?」
ひよりが聞き返す。
「今は使っていない教室が並んでいる場所だ。昔の校舎と今の校舎をつなぐ廊下もある。何かを見間違えたのなら、そこに手がかりがあるかもしれない」
「先生、何か知ってるんですか?」
湊が尋ねると、白石先生は一瞬だけ口を閉じた。
「……知っていることもある。だが、君たちが自分で調べたいのなら、まずは自分の目で確かめてみなさい」
まただ。
先生は、七不思議について何かを知っている。
けれど、どうして教えてくれないのだろう。
三人は顔を見合わせ、旧校舎側へ向かった。
*
旧校舎へ続く廊下は、普段使われている場所よりも少し暗かった。
窓枠は古く、壁には昔の掲示物を剥がした跡が残っている。
廊下の突き当たりには、今は使われていない教室が三つ並んでいた。
「ここって、入っていいのかな?」
ひよりが不安そうに尋ねる。
「勝手に入るのは駄目だろ。先生に許可をもらってからにしようぜ」
蓮が珍しくまともなことを言った。
三人は白石先生に確認し、廊下と空き教室の入り口を調べる許可をもらった。ただし、教室の中にある物には触れないことが条件だった。
そして、午後四時。
廊下に立っていた三人の耳に、不思議な声が届いた。
『……みなと……』
「えっ?」
湊は思わず振り返った。
今、誰かが自分の名前を呼んだ。
間違いない。
『……こっち……』
今度は、廊下の奥から聞こえた。
「ちょ、ちょっと待って! 今、聞こえたよね!?」
ひよりが小声で叫ぶ。
「聞こえた。俺にも聞こえたぞ」
蓮も、さすがに笑っていなかった。
三人は声のした方向へ、ゆっくり歩いていった。
けれど、廊下の奥には誰もいない。
窓も閉まっている。
教室の扉も、すべて閉じられていた。
「誰もいないのに……」
湊がつぶやいた、そのとき。
『……みなと……』
また声がした。
今度は、すぐ近くから。
三人は同時に、右側にある空き教室の扉を見た。
「中に誰かいるのか?」
蓮が扉の小窓をのぞき込む。
教室の中には、古い机と椅子が並んでいるだけだった。
人の姿はない。
「先生を呼ぼう!」
ひよりが言いかけたとき、湊はふと、あることに気づいた。
「……待って。声が聞こえる直前、何か音がしなかった?」
「音?」
「うん。声が聞こえる前に、カチッて」
三人は黙り込んだ。
耳を澄ませると、また小さな音がした。
カチッ。
その直後。
『……こっち……』
声が響いた。
「今のだ!」
蓮は廊下の天井を見上げた。
「声が聞こえる前に、必ず何かが動いてる!」
「でも、天井には何もないよ?」
ひよりが懐中電灯で照らす。
天井には古い照明器具と、換気口があるだけだった。
湊は、教室の扉の横にある壁を見つめた。
そこには、古びたスイッチが二つ並んでいた。
一つは照明用。
もう一つは、用途の分からない小さなスイッチだった。
「これ……何のスイッチだろう?」
湊が尋ねた瞬間、廊下の奥で再びカチッという音がした。
そして、誰もいない教室から声が響いた。
『……みなと……』
今度は、はっきりと聞こえた。
三人は顔を見合わせた。
声は、確かに湊の名前を呼んでいる。
けれど、湊はまだ、この学校で自分の名前を呼ぶような人物がいることを知らなかった。
*
その日の調査を終えた三人は、図書室へ戻った。
古い『怪異調査記録』を開き、第四の不思議について書かれたページを探す。
そこには、短い文章が残されていた。
『誰もいない教室から声がする。
声は、聞く者によって違う名前を呼ぶという。
ただし、声が聞こえる前には、必ず小さな音がする』
「やっぱり、昔から同じことが起きてたんだ……」
ひよりがページを指でなぞる。
その下には、別の文字が書き足されていた。
『声の出どころを探すなら、廊下の端から数えて三番目の窓を見よ』
「三番目の窓……?」
蓮が顔を上げた。
「さっきの廊下だ!」
三人は急いで窓の数を確認した。
端から数えて三番目の窓。
その窓枠の隅に、小さな三角形の印が刻まれていた。
以前、音楽室で見つけた四角い印。
そして、最初のノートに描かれていた丸、三角、四角。
「これって、全部つながってるんじゃない?」
ひよりの声が少し弾んだ。
「音楽室の四角、ここにある三角。それから、理科室にも何か印があるかもしれない」
「じゃあ、残る丸は……」
湊が言いかけたとき、図書室の入り口から声がした。
「そこまで調べたのか」
白石先生だった。
三人は驚いて振り返る。
先生は、机の上に広げられたノートを見つめていた。
「先生。この印は何なんですか?」
ひよりが尋ねる。
白石先生はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「昔、この学校には、校内の設備を点検するための小さな仕掛けがいくつもあったんだ。今では使われていないものも多い」
「仕掛け……?」
「それが七不思議と関係あるんですか?」
湊が尋ねた。
先生は答えなかった。
ただ、古いノートの最後のページを見つめていた。
その目は、まるで懐かしいものを見ているようだった。
「君たちが本当に知りたいのなら、次は図書室の古い学校新聞を調べてみなさい」
そう言い残して、先生は図書室を出ていった。
三人は、すぐに古い新聞の束を探し始めた。
そして、一番古い新聞の中から、こんな見出しを見つけた。
『創立七十周年記念――校内に隠された七つの手がかり』
記事の隅には、丸、三角、四角の印が並んでいた。
さらに、その下には小さな文字で、こう書かれていた。
『最後の手がかりは、七つの怪異を調べた者だけが見つけられる』
湊は、思わず息をのんだ。
七不思議は、ただの噂ではないのかもしれない。
誰かが、意図的に残した謎なのだ。
そして、その謎はまだ終わっていなかった。