「幼なじみは特別だ」と婚約者が言うので、わたくしも幼なじみと結婚します――ずっと隣にいた公爵様が、もう遠慮してくれません

第11話 親切な伝言の裏側



 川開きまで、あと五日となった朝だった。
 ロックウッド邸を訪ねた行事委員長夫人は、客間に現れたミレイユを見て、少し困ったように微笑んだ。
「お顔を拝見できて、ほっとしましたわ」
「お会いできて嬉しく存じます。今日は、どのようなご用でしょう」
 母と並んで座り、ミレイユはそう尋ねた。夫人は手袋を外しながら、母と娘を交互に見た。
「お辛いことを、改めて伺うつもりはありませんの。ただ、お席の支度がありますから、欠席のお返事だけはご自身か、ご家族からいただきたいと思いまして」
「欠席、ですか」
 声が重なった。母も聞いていなかったらしい。
「わたくしは、出席とお返事を差し上げました。三日前に、お母様の分とご一緒に」
「では、昨日の伝言は?」
 夫人が膝の上で指を組んだ。
「フリント嬢が、あなたの代わりに知らせてくださったのです。婚約解消の件でお心が晴れず、人前へ出るのがまだお辛いので、今回ばかりはお許しをと。ご本人へ尋ねるのは酷だから、どうかそっとしておいてほしいとおっしゃって」
 母が背筋を伸ばした。ミレイユは、すぐには返事ができなかった。
 夫人が今、どれほど言葉を選んでいるか分かった。彼女は婚約を解消され、家に閉じこもり、人の目に耐えられなくなった娘として扱われている。
「そのような伝言は頼んでおりません」
 ようやく言うと、夫人は息をついた。
「やはり、ご本人に確かめてよかったわ」
「どうして、直接お越しくださったのですか」
「あなたからの出席のお返事が、とても楽しそうだったから。途中で気持ちが変わることはあるでしょうけれど、チェスター公爵とご一緒するのを楽しみにと、あれほどはっきり書いてくださったでしょう」
 ミレイユは、自分が返事に何を書いたか思い出した。
 オーウェンと一緒に新しい橋を渡りたい。領の人たちが待っていた日を、自分も楽しみにしている。改まった礼状にしては少し浮かれすぎだと、一度書き直そうとした言葉だった。
「ご心配をおかけしました。わたくしは、予定どおり伺います」
「承知しました。では、お席もそのままにいたします」
「それから、もう一つお願いがございます。その伝言が、ほかへ広まっていないか、教えていただけませんか」
 夫人は正直に答えてくれた。
 会の準備を手伝う二人の女性には、確認が取れるまで席の変更を待つよう話したという。モードがほかに誰へ伝えたかは分からない。だが夫人のところからは、それ以上広げていない。
「ありがとうございます。モード様ご自身に、訂正していただきます」
 母がカップを置いた。その音は少し強かった。
「お母様」
「ええ。あなたのお話を聞いているわ」
 母の手は、まだカップの取っ手にかかっていた。ミレイユはその指先へ軽く触れてから、夫人へ向き直った。委員長夫人が言った。
「明日の午後、フリント嬢へお越しいただけるか尋ねますわ。今のお話を聞いた者として、わたくしも同席した方がよろしいでしょう」
 夫人の申し出を、ミレイユはありがたく受けた。
 用件が済むと、夫人は庭の花に目を向けた。母と季節の話を交わす、その声は普段どおりだった。気を遣って話題を変えてくれたのだと分かっても、今はその親切が嬉しかった。
 客が帰ったあと、母はミレイユの方を向いた。
「私からフリント家にお話ししましょうか」
「まずは、わたくしにさせてください」
「一人で、という意味ではないわね」
「はい。お母様にも、一緒にいらしてほしいです」
 母は頷き、娘の肩を抱いた。ミレイユは少しだけ、その手に頬を寄せた。

 モードへ出した手紙は、ごく短いものだった。
 欠席の伝言を頼んだ事実はないこと。明日の午後、委員長夫人の王都邸で、伝言を受け取った方々へ訂正してほしいこと。母とミレイユも伺うこと。
 書き終えて読み返すと、いつもの招待状よりずっと素っ気なかった。愛想のよい一文を添えようとして、やめた。
 午後になって訪ねてきたオーウェンは、事情を聞くと長い息を吐いた。
「欠席の確認が俺のところまで来なかったのは、その前に君へ尋ねてくれたからなんだね」
「ええ。あなたへ知らせる前に、わたくしに確かめてくださったの」
「委員長夫人に礼を言わなければ」
 彼は立ったままだった。ミレイユは隣の椅子を指した。
「座って。あなたがそうしていると、すぐ誰かの家へ乗り込んでいきそうに見えるわ」
「行きたくはある」
「分かっています」
 彼が腰を下ろすと、ミレイユは自分も座り直した。
「わたくしが出席したいかどうかを、あなたに聞かれていたら、もっと腹が立ったかもしれない」
「君が自分で言ってくれたことだから。君が変えたと言わない限り、俺から変えるつもりはない」
 オーウェンは膝の上に置いた両手を見た。指を握り合わせている。怒るまいとしているのが、かえってよく分かった。
「明日、一緒に行こうか」
「お母様に来ていただくことにしたの。もし、こちらで話がつかなかったら、あなたにも事情を知っていてもらいたい」
「それなら、明日ここへ戻ってくる時刻を教えて。待っている」
「お仕事は?」
「午前中に片づける。夕方は君と過ごしたい」
 その言葉を聞いて、ミレイユの胸に残っていたざらつきが、少し動いた。
「……今、とても嫌な気持ちなの」
「うん」
「自分で婚約を終えたことを、わたくしが恥じているように言われるのが嫌。あなたと会いたくて、川開きを楽しみにしているのに、それを全部、なかったことにされるのも」
 言っているうちに、悔しさが戻ってきた。泣きたくはなかった。けれど、目が熱い。
 オーウェンが手を伸ばしかけ、途中で止めた。ミレイユはその手を自分から取り、指を握った。
「今日、来てくれてよかった」
「俺は、君が俺と会うのを楽しみにしてくれたと聞いて、嬉しかったところだよ」
「怒っているのではなかったの?」
「怒っている。それと、君が好きなのは、別のところで同時に起きる」
 ミレイユは笑い、握った手を引いた。彼が少し身を寄せる。
「明日、ちゃんと訂正していただくわ」
「聞かせて。君が帰ってきたら」
「面白いお話にはならないかもしれない」
「面白い話だけ聞きたいわけじゃない」
 返事をした彼の顔が近く、ミレイユは唇へ目を落とした。
 彼に気づかれた。ほんの少し首を傾けられる。ミレイユは自分から顔を寄せた。短く触れるつもりだったのに、離れた時に彼の息が頬にかかり、また近づきたくなった。
 もう一度、と言う前に、彼の手が頬に添えられた。
「これも、帰ってきたら?」
「先に約束してしまってよろしいの?」
「俺が、そうしたい」
 ミレイユは頷き、今度は彼の方から口づけを受けた。

 翌午後、委員長夫人の王都邸へ着くと、客間には夫人のほかに、川開きの準備を手伝う女性が二人いた。
 昨日の伝言を聞いた人たちだと、すぐ紹介された。二人とも余計な慰めを言わず、ミレイユの挨拶へ普通に礼を返した。それだけでも、来てよかったと思えた。
 モードは少し遅れて現れた。
 淡い桃色のドレスの袖に細いレースが重なり、手には小さな菓子の包みを持っている。普段の茶会に招かれたような顔だった。
「急に伺うことになりましたから、ささやかですけれど」
 夫人へ包みを渡し、モードはミレイユを見た。
「お元気そうで、よかったわ。昨日はびっくりしてしまいました。あんなお手紙をいただくなんて」
「お越しくださってありがとうございます」
 ミレイユは立って挨拶をしたあと、座らずに続けた。
「では、最初に訂正をお願いいたします。わたくしは欠席の伝言を頼んでおりませんし、婚約解消を恥じて人前を避けてもおりません」
 モードの笑みが止まった。
「そんなに改まらないで。お座りになって、少しお茶をいただきましょう?」
「その前に、お話を終えたいのです」
 夫人も同意した。
「ええ。フリント嬢、あなたから確かに、ロックウッド嬢の伝言として伺いましたわ。ご本人にお尋ねしない方がよいとまでおっしゃったので、私も気になっていました」
「だって、ご本人に聞かれたら、出ますと答えてしまうでしょう? ミレイユ様は、そういう方ですもの。周りに気を遣って、ご自分のお気持ちは後回しにして」
 モードは母へも微笑みかけた。同意してもらえるつもりらしかったが、母は微笑み返さなかった。
「娘があなたに何を言ったのか、伺いたいわ」
「はっきり言葉で、というわけではありませんけれど。以前から、いろいろおありでしたでしょう。つい先日も、ハロルドから、まだ意地を張っていらっしゃると聞きましたし」
「わたくしは、あなたに欠席を頼みましたか」
 ミレイユが聞いた。モードは扇を開きかけ、その手を止めた。
「頼んだ、頼まないという話ではないと思うの」
「そのお話をしに参りました」
 室内が静かになった。茶を注ごうとしていた侍女が、夫人の目配せで控える。
 モードは一度唇を引き結んだあと、今度は打ち明け話をするように声を落とした。
「ミレイユ様。人がたくさん集まる場所で、皆様の視線を気にしなくてはならないのは、お辛いでしょう。公爵様に親しくしていただいているのも、皆様が噂しています。こんなに早く、という方もいらして」
 ミレイユの隣で、母が息を吸った。
 ミレイユは母より先に口を開いた。
「どなたがおっしゃったのですか」
「それは……名前を出して、皆様を困らせるわけには」
「でしたら、その方々にも、わたくしの言葉をそのままお伝えください。わたくしは今の交際を喜んでおります。川開きにも伺います」
 モードの顔に、初めて苛立ちが浮いた。
「わたくしは、あなたが笑われないようにと思っただけよ」
「笑われるのが嫌だから、行きたかった場所を諦めるつもりはありません。それに、わたくしが恥じていると、あなたが先に皆様へ話したのです」
 モードは夫人たちを見回した。助け船を出す人はいなかった。
「だって、あなたが公爵様と楽しそうにしていたら、ハロルドが本当に酷いことをしたように見えるでしょう。温室へ呼んだわたくしまで」
「わたくしが楽しく過ごしていると、お困りになるのですか」
「そういう意味ではないわ。気まずいままにしておく必要はないと、申し上げているの」
 モードは開いた扇で、少し強く胸元をあおいだ。
「でも、園遊会へいらっしゃればよいではありませんか」
 話が急に変わり、ミレイユは眉を寄せた。
「バートラム家の?」
「そう。ハロルドの隣へ、ほんの少しお立ちになるだけでいいの。お客様のご案内は、いつもあなたがお上手だったでしょう。わたくしはお花の支度をしますし。今までどおりにしていれば、皆様も悪くおっしゃらなくなるわ」
「それを、わたくしが望みましたか」
「そんなふうに、何でも一つずつ聞き返さないで。昔は、もっと気持ちを汲んでくださったのに」
 モードの声が少し高くなった。ミレイユは、彼女の扇の先がこちらへ向いたままなのを見た。
「あなたは、わたくしの出席を取りやめて、その代わりにハロルド様の隣へ戻そうとなさったのですね」
「戻すなんて。大げさだわ。お互いに悪く思われないための、ちょっとした気遣いでしょう?」
「ご自身の気遣いとして、ご自身の名で提案なさるのでしたら、お断りするだけで済みました。わたくしの言葉として、違うことを伝えないでください」
 委員長夫人が、そこで口を挟んだ。
「フリント嬢。善意かどうかは、今は伺っておりません。あなたは、ロックウッド嬢から頼まれた伝言だとおっしゃいました。その点を確かめております」
 モードの手が扇を握りしめた。頬に赤みが差していた。
 それまで彼女の後ろに座っていた付き添いの侍女が、扉の方へ目を向けた。廊下から男の声がする。
「彼女がここにいると聞いたんですが」
 ハロルドだった。
 ミレイユは驚いたが、モードは目に見えて安堵した。来るよう頼んでおいたのだと、その顔で分かった。
 夫人が家人へ入室を許すと、ハロルドは客間の顔触れを見て、一度足を止めた。
「何か、行き違いがあったようですね」
 礼を済ませた彼へ、モードがすぐ手を伸ばした。
「ハロルド、あなたからもお話しして。わたくし、いつものように、皆様のためを思ってお願いしただけなの」
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