極東4th
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『海』

 聞こえたのは、その単語。

 早紀は、無意識に歩みが遅くなってしまった。

 胸が、ドキドキしてきたのだ。

 逆に、顔からは血が引いていく。

 もしや、と。

 もしや、伊瀬と呼ばれた男は。

「同族とは言え、お礼をしなければね…」

 早紀の状態には気づかずに、彼は考えるように空を見上げた。

 青い青い、早紀の心にはそぐわない、美しい空を、だ。

「お、お礼なんて…い、いらないですから」

 お礼が欲しくて、足を止めたわけではない。

 今にして思えば、足を止めた事そのものが、呪わしくなってきたほどである。

 毒のない瞳が、いけなかったのだ。

 すがるもののない早紀が、惹かれずにはいられなかった、あの瞳が。

 しかし、掴んだ綱は──海につながっていた。

 海というキーワードから連想する種族など、貧相な知識の早紀は、ひとつしか持っていなかったのだ。

 何故、種族の違う彼が、魔力を吸えたのか、理由はよく分からないが。

 魔族だって。

 バレたら、どうなるんだろう。

 心の中で、早紀は小動物のように、小刻みに震え始めた。

 ステルスも起動出来ない状態で、それに気づかれたら──敵対関係なのだから、生きて戻れないのではないか。

 となると。

 気づかれないまま、うまくやり過ごして離れるしかない。

「そういえば…名前を聞いてなかったね…ん?」

 青空から視線を落とした伊瀬が、言葉の最後を疑問に変えた。

 早紀が、びくっと飛びのいてしまったせいだ。

 あわわわわ、私の馬鹿。

 心の中の小動物が、表に出てしまっている。

「あ…いえ…あの」

 唇が、ぷるぷる。

 そんな、恐れおののく早紀に──伊瀬は、やわらかく微笑んだ。

「気づいたんだね、私が誰か…でも、そんなに怖いものじゃないから、心配しなくていいよ」

 だが。

 何と勘違いしたのか。

 彼の言葉は、早紀の知らない方向へ、ねじ曲がったのだった。
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