いちえ
…アイツって…誰…?
そう口を開こうにも、何故か言葉が出てこない。
知りたいとは思うのに、口に蓋でもしてしまったかのように動かない。
そっと視線が外されると、ギュッと手を握り締められ、まるでそれが私の心臓を丸ごと掴んでしまったように、胸がギュッと音を立てた。
「私には、そうとしか思えないが?」
じっと言葉を待っていた瑠衣斗に対して、ゆっくりと一言一言を大切に言葉にする橋田先生に、瑠衣斗が言葉を選んで、慎重に口に出すのは、先生の影響なのだろうと思った。
「もうそろそろ…自分の人生を自由に生きろ」
「…………」
聞いていてもいい話なのか、良くないのか、瑠衣斗が黙り込む事で心配になる。
でも、そんな私の考えを読み取ったかのように、橋田先生の視線が私へと向ける。
「自分の人生は、自分一人の物だ。そんな思いで生きてても、ただの自己満足にしかすぎんぞ」
まるで、私に向けられたような言葉に、私の全ての機能が止まったようだ。
頭から痺れるように、全身から力が抜けていく。
目の前がやたらクリアに見えて、頭が物凄く冴えているようだ。
橋田先生の言葉に、つっかえていた喉にあったものが取れたように、グッと息をのんだ。
「経験は財産だ。それに、大切な物を人生で得られる事は、生きてる内にほとんどない。自ら逃してしまってまで、自分の人生を縛って生きていくのか?」
何故だろう。涙が溢れそうだ。
目の端に見える瑠衣斗の横顔は、俯いていて表情は分からないのに……何だか泣いてるみたいで。
「取り返しはつかないぞ。生きる事にやり直しはない。リハーサルもな」
ニッコリと笑った橋田先生が、ぐしゃぐしゃと瑠衣斗の頭を乱暴に撫でる。
「サンキュ……センセ」
フッと、瑠衣斗が笑った気配がした。
ゆっくりと上げた顔は、とても穏やかな笑顔だった。