青春の蒼いカケラ
若年なきべそ編
横浜の本郷台に、家族四人で住んでいた。 アパート暮らしだった。父はタクシードライバーで、母はパーマ屋だった。そして弟は二個下だった。僕は小学校六年生で、のびのびと暮らしていた。脊は低かったが運動神経は良かった。通信簿も体育は、五で、国語と算数も成績が良かった。友達も多かった。中学校へ入る前の春休みだった。父は鎌倉に家を建て、そこへ住むことになった。中学一年は大沢中学校へ通うことになった。春暖かい、いい日和だった。入学式がはじまった。まだ僕は、友達がいなかった。教室に入ったらうしろの席に、いしいという人がいた。
「おまえ、どこからきたんだ」
「横浜です」
いしいは体格もよく腕力も有りそうだった。いしいは言った。
「サッカー部にはいらないか」僕はすぐに、
「いいですよ」と言った。
「じゃあ 放課後部室へ行ってみよう」
 新入生は十二人いた。僕は誰も知り合いが無く、いしいだけが頼りだった。
先輩の挨拶が終わり、その日は練習もなく家へ帰った。
 
日曜日、いしいが尋ねてきた。
「これから、ストッキングと短パンを買いに行くけど、一緒に行かないか」
 いしいは母が出してくれた細長いヨーカンを、ぱくぱく食べていた。スポーツ店で石井とわかれた。
 
僕は日曜日には、衣笠にある、ホリエ・アトリエで油絵を習っていた。サッカー部は、日曜日でも練習や試合があり、ホリエ・アトリエは、いけなくなったしまった。父は絵が好きで、僕には、幼稚園の頃から習わせていた。

一学期も終わり夏休みに入った。でもサッカーの練習や試合があり、ほとんど勉強する気にもなれなかった。ある日、サッカーの練習中に、ドリブルとフェイントを先輩に習っている時、おもいっきり左足を蹴られてしまった。痛くてしょうがなかった。先生がすぐに病院へ連れていってくれた。レントゲンの結果ヒビが入っている事がわかった。先生が。
「痛いか」と言った。
「いたいです」
先生の車で自宅まで送ってくれた。父が心配して。
「なおと、サッカーをやめろ、また絵の勉強をしろ」と言った。
母もサッカーをやるのを反対した。




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