愛しい遺書
せっかく来てくれたのに、今日は見送れないな………。

そう思いながらあたしはティッシュを取り、涙を押さえた。


玄関に向かうはずの足音は、リビングのドアをスルーしてキッチンに入って来た。明生の予想外の行動に、あたしはワケがわからず素直に驚いたまま明生を見た。明生はさっきと同じ哀しい表情に少しだけ唇の片側を上げて近づいて来てあたしの涙を自分の手で拭った。

「………オレはお前を泣かせる事しかできねぇんだよ………。それでもお前は幸せなのかよ………?」

どんどん溢れ出る涙を明生は何度も拭った。あたしはその手を両手で強く握りしめ、頬に当てた。

「………毎日笑ってる事が幸せなんじゃない。………好きでもない男に泣けるワケないじゃん………。あたしの幸せはアンタだよ。バカ明生っ………」

握っていた手を離し、あたしはグシャグシャの顔のまま明生に両手を伸ばした。明生は切ない表情を浮かべながらもあたしを強く引き寄せた。あたしは空気さえ通れないくらい明生にしがみ付き、明生もそれに応えるように腕に力を入れた。その力が強ければ強いほど、興奮しているあたしの脳を鎮め、いつの間にか涙も止まった。あたしの涙を止めれるのも、明生しかいない。その事にどうか気付いて欲しい。あたしは明生の脳に流れ込むように、強く念じた。

明生はあたしの額に自分の額を寄せ、あたしの切ない訴えを流し込むかのようにじっとしていた。

もう何処にも行かないで………。

あたしがそう念じると同時に明生は額を剥がした。

どうしてこんなにも明生に伝わらないんだろう…………。

涙を蓄めているタンクの蓋が、また少し開きかけた。明生はそんなあたしを素早く抱き上げ、テーブルに乗せた。その小さな振動で目に蓄まっていた涙が頬を伝い、あたしはそれを拭おうと手を上げたが、明生に押さえられた。

「………オレやっぱりイカレてんな………」

そう言って軽くうなだれる明生の後頭部を、あたしは訳が解らずただ見つめた。明生は下を向いたまま大きくため息を吐き出すと、少しだけ間を開けて今度はフッと吹き出し、顔を上げた。

「………お前の泣く顔見て勃っちまった………ありえねぇだろ………?」
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