月影
いつもと何も変わらない営業時間だったはずなのに、入口に立つ彼を前に、一帯の空気が変わったのがわかった。


その瞳は滑るように動きながら、あたしを見つけ、制止する。



「いらっしゃいませ、お客様。」


黒服が頭を下げたが、気付いたように店長が出てきて彼を下がらせる。


そして同じように頭を下げるが、出迎えられた彼は心底鬱陶しそうな顔をした。



「あの女、指名で頼むぞ。」


差された指は、真っ直ぐあたしに向いていた。


こちらを一瞥しただけの店長は、かしこまりました、と言い、彼をVIP席へと案内する。


そこは小柴会長のみに許されていた場所だったが、あの人が居なくなり、長らく主を失っていたのだが。


そこに通すということは、店長も彼の正体に気付いているのだろう。


一番奥にあり、ソファーや花で仕切られた作りになっているのだ、他からは見えにくい。



「レナさん、お願いします。」


断る術はなく、険しい顔を隠すようにあたしは、彼の横に立ち、いつものように挨拶をして、席に着いた。


まるで所作の全てを監視されているようで、お酒を作るだけでも緊張が走る。



「今日はどうされたんですか?
こんな店に来て、あたしを指名までして。」


「そういやまだ挨拶してなかったなぁ、と思ってな。
何かおかしいか?」


いえ、とだけ返した。


ヘルプの子はすぐにこの人によってあしらわれ、一対一での対面だ。



「でも、嶋さんに挨拶される理由が思い浮かびませんね。」

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