しょうがい
「あの、隣りどうぞ。座って下さい」

彼女は軽く腰をあげ、自分を隅に追いやって僕が座れるだけの空間を作ってくれたのである。僕も断る理由がなかったため、彼女の好意に感謝しそこに座った。

それからまた沈黙が訪れた。

僕は元々口は達者ではないし、その上人見知りするタイプの人間なため、こういう沈黙を破るすべを知らない。また同じく、隣りの彼女もどうやら僕と似ている部分があるらしく、なかなか自ら口を開こうとはしなかった。近頃の現代人には、よくこういう短所が見られる。もしも時代をさかのぼり、古き良き時代に戻れたならば、きっとこういう沈黙は存在せず、二人仲良く世間話でもしたのだろう。

僕は一度時計に目をやり、バスの時刻表をベンチに座ったまま遠目で確認した。もうバスが来る時刻は過ぎていたが、朝のバスというのは大抵少し遅れて到着するものである。僕は時刻表から目を離し、ただ何を眺めるでもなくボーッと前を見つめた。朝には小鳥のさえずりが聞こえるというけれど、今朝は何の音も聞こえずに、ただ沈黙のみが世界を支配しているようだった。

そうした中で、ふと何か人の目線を感じた。その目線を送るについて考えられるべき人物は、この場においてはもちろん一人しか存在しえず、僕はそっとその目線を送る人物の方を見た。その目線は温かく、だけどどこか哀しかった。
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