君と、○○のない物語


なんだろう。知っている声のような気もするけど。

朔太郎はひとまず諦めて、またベッドの真ん中に背を預ける。

窓の向こうで、真っ赤な金魚が揺れている事には気付かなかった。




それから数週間経ち、朔太郎は普通に歩き回れる程に体力も回復し、退院は間近に決まっていた。

だが、結局春海は何日待っても見舞いに来ていない。

というか朔太郎の病室には医師や看護師以外の出入りが皆無で、友達なども全く姿を現さない。

これは病院側が朔太郎の精神状態を気遣ってのことらしい。

まあ自分で自分の首なんか切ったんだから当たり前かもしれないのだが、春海はあれでも一応朔太郎の保護者として通っていたのだ。

それが一向に現れず、それとなく医師に聞いてもはぐらかされるのは一体どういう事なのだろうか。


「大月君、起きてますー?」

思索に耽っていると、隙をついたように医師がカーテンを開けて現れた。

「おめでとう、退院来週の土曜に決まったよ。あと、警察の方が君のおばあさんに連絡してくれたんだ。今後はおばあさんが面倒を見てくれるそうだよ。」

「…え…春海は…」

「それについて、今からきちんと説明したいと思う。…君が落ち着いてから話そうと思っていたからね。」

医師はベッドの脇にあった椅子に腰掛け、神妙な顔で息をつく。

その様子から、大事な話であることは予想がついた、が、話の内容に関しては全く予想だにしないものだった。

「…緑川春海さんは君の容態が安定した後から行方不明なんだ。」

「は?」



「救急車を呼んだのは緑川さんだし、我々が治療をしている最中も病院にいたんだけれど、終わったら何処かへいなくなってしまってね。連絡もつかないんだ。」

「…なんで…」

「わからない。けど警察が捜索を始めてるし、きっと見付けてくれる筈だからさ、安心して、それまでお婆さんのところで暮らしていて。元々そうなる予定だったらしいじゃないか。」

医師はその後あっさりと表情を切り換えて退院後の通院について説明し始めた。
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