准教授 高野先生のこと
あるとき、先生と私は若者のケータイ依存について少し話をした。
「多くの人にとって、メールは“会話”の手段なのでしょう」
先生はおっとりとそう言って、コーヒーをゆっくり一口飲んだ。
会話の手段……。
たった一言ずつの言葉の往復。
まるで本格的な卓球のラリーのような矢継ぎ早のやりとり。
そう、確かにあれは“会話”なんだ。
「僕にとってメールは“手紙”だったんです」
なんだろう……???
“だった”という過去形に少しだけ違和感が……。
先生から手紙の返事をもらったことをきっかけに、私から先生にメールを送った。
そして、先生がさらに返信してくれて……。
考えてみると――
このやりとりについて、先生がどう思っているのかを私は知らない。
先生本人に一度も聞いてみたことがなかったから。
先生はふと目を伏せて、続けて言った。
「切手も不要で一瞬で相手に届いてしまう“手紙”は――」
「……?」
「少し厄介です」
私は初めて先生のメールについての見解を聞いたのだった。