吸血鬼の花嫁
美しき花の都サウザンロス。
この辺り一帯では一番大きな都市だ。
ジェフはその入口前の森に馬車を止めた。
馬車が止まるのを確認し、荷台の客は次々に降りていく。
料金は前払い制で既に貰っていた。
隣の青年も、ジェフに礼を言い、荷物を降ろしている。
「そういや、あんたの名を聞いてなかったな。俺はジェフ」
青年は荷物を降ろす手を止めた。
そして、曖昧に笑う。
「名前…」
「なんだ。言いたくないのか?」
「あぁ、いや。そうではなくて。なんというか…」
ジェフに視線を合わせないまま、青年は荷物を降ろし終える。
「俺には名前がないんだ」
「ないって、それは一体どういう…」
「あの日、俺が戻った時にはもう、館は燃え落ちていた。
もしかしたら、燃える前のあの館には、俺の名があったのかもしれないけど」
花嫁が考えそうなことだし。
青年はそう付け加えると、ジェフに向けて暗く笑った。
「だけど、その名は失われたまま戻りはしない。
…他の名なら俺には必要ないんだよ」
穏やかそうな青年の瞳に、一瞬ジェフを挑発するような炎が灯る。
しかし、それはすぐに消え、また、どこか寂しげな微笑みに変わった。
「なんてね」
冗談だと言いたげに青年が言う。
「…ここは暖かくていいね。一年中雪が降らないそうだし。
俺、雪が嫌いなんだ。どうしようもなく、懐かしくなるから。
それじゃあ、お元気で」
「あ、あぁ。そちらも」
ジェフも軽く手を振り返した。
話を逸らされた、と気付いたのは、青年が荷物を持って歩き始めた後だった。
有無を言わさずに去っていく青年の後ろ姿に、ジェフは声を掛けようとし、止める。
きっとまた、ごまかされてしまうだろう。