ことばのスケッチ
(5)
私は、寝返りという動作を意識してやったのではない。ただ、仰向けに寝ていて頭を後に思いっきり押付けて体を反らせたら、体の重心が移動して、くるりと回転しただけである。これを寝返りと称して、周りの者は一歩前進したと思い込んでいる。つまり、ハイハイするまでの一つの過程と心得ている。両者には、意識のちぐはぐがあって、一見、意思の疎通がないようであるが、寝返りと心得ている相手にとっては、次のハイハイの段階へと早期に導くための『ことば』であり、私にとっては、体重の移動という新たな動作に快感を覚えるゲームと心得る点において、両者は噛合っている。したがって、くるりと回転したかと思うと、また仰向けにされるのは、私が快感を味わう手助けであって意地悪ではない。笑顔を見せるが泣きはしない。もしも、うつ伏せになったままほって置かれたらどうだろう。顔が地面に押し当てられて息ができなくなり、死ぬ思いをするであろうし、死ぬかも知れない。だけど、互いに噛合った両者の間では、そのうちに疲れ果てて眠るだけであり、快感を味わうことができる。もしも、寝返りを打って、そのままほって置かれたら、死の苦しみを味わうことになる。いくら私でも、死の苦しみを味わいたくない。したがって、寝返りの回数が少なくなり、ハイハイへの道のりが遠くなる。
私は、寝返りという動作を意識してやったのではない。ただ、仰向けに寝ていて頭を後に思いっきり押付けて体を反らせたら、体の重心が移動して、くるりと回転しただけである。これを寝返りと称して、周りの者は一歩前進したと思い込んでいる。つまり、ハイハイするまでの一つの過程と心得ている。両者には、意識のちぐはぐがあって、一見、意思の疎通がないようであるが、寝返りと心得ている相手にとっては、次のハイハイの段階へと早期に導くための『ことば』であり、私にとっては、体重の移動という新たな動作に快感を覚えるゲームと心得る点において、両者は噛合っている。したがって、くるりと回転したかと思うと、また仰向けにされるのは、私が快感を味わう手助けであって意地悪ではない。笑顔を見せるが泣きはしない。もしも、うつ伏せになったままほって置かれたらどうだろう。顔が地面に押し当てられて息ができなくなり、死ぬ思いをするであろうし、死ぬかも知れない。だけど、互いに噛合った両者の間では、そのうちに疲れ果てて眠るだけであり、快感を味わうことができる。もしも、寝返りを打って、そのままほって置かれたら、死の苦しみを味わうことになる。いくら私でも、死の苦しみを味わいたくない。したがって、寝返りの回数が少なくなり、ハイハイへの道のりが遠くなる。