pp―the piano players―
「早紀」

 ひどく混雑していて会場を出るのに時間がかかった。会場の外、ぎゅっと手首を掴まれる。急いでいた足が戸惑い、転びそうになるのを、握られた腕で支えた。
「ごめん、大丈夫?」
 酒井君が手を放した。

「平気。急ごう?」
 駅まで何分、電車に乗っているのが何分……頭の中の時計が動く。間に合うかな。

 酒井君は何か言いかけて止めた。それから、優しく笑いかけてくれた。
「そうだね、急ごう」

「先生すごかったね、お父さん」

 頷こうとした時、酒井君のその笑顔の向こうから聞こえた声に体が凍る。
「すごかったなあ! 最初に弾いたソナタが大好きなんだ」
「おばあちゃんはどうだった?」

 酒井君の顔の、すぐ隣を行く人たち。目の前の酒井君に、わたしは焦点を合わせられない。

「そうね」
 あの人は、ほうっと息をついた。
「とても素敵だったわ」
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