上海ふたりぐらし
その日は、土曜日で息子も家にいた。彼は私が苦しんでいるのもおかまいなしで、ずっとTVを観ていた。が、どれだけ時間がかかるかもわからないのに、一人置いておくわけにはいかない。痛みに耐えながら彼のおやつを用意した。痛みのピークが過ぎたと判断したバカな私は、洗濯もした。だって、すごくいいお天気だったから。お天気がいいと私は、いっぱい洗濯をして、お布団を干したくなる。さすがに、布団を持ち上げる力は残っていなかったので、こちらはあきらめざるを得なかった。
こんなに辛いのに、なんで私は自転車に乗ってるの?おまけに後ろに息子まで乗せて。私はなんとか学校の留学生用診療所にたどり着いた。M子も来てくれていた。先生はやはりまだ来ていない。恐らく医療通訳者と思われる男性馬(マー)さんとM子と共に、車で病院へ向かった。馬さんは言った。
「ちょっと、遠いよ。」
病院に着いたのは、それから1時間以上も後だった。あとで、わかったことだけど、馬さんは、どうやらその病院から派遣されているようだった。患者を連れて行くと、病院にお金が入るので、わざわざそんな遠いところまで連れて行かれたのだ。病人の症状などお構いなし。恐るべし中国人。
近くには日本語の通じる病院がいくつもあって、もちろんそこでは海外保険も適用される。でも当時の私は、日本人とほとんど接触していなかったし、この時上海で初めて病院にかかったので、何も知らなかった。外国人だから、すごく面倒なんだ、遠くても仕方ないんだ、と単純に納得していた。
こんなに辛いのに、なんで私は自転車に乗ってるの?おまけに後ろに息子まで乗せて。私はなんとか学校の留学生用診療所にたどり着いた。M子も来てくれていた。先生はやはりまだ来ていない。恐らく医療通訳者と思われる男性馬(マー)さんとM子と共に、車で病院へ向かった。馬さんは言った。
「ちょっと、遠いよ。」
病院に着いたのは、それから1時間以上も後だった。あとで、わかったことだけど、馬さんは、どうやらその病院から派遣されているようだった。患者を連れて行くと、病院にお金が入るので、わざわざそんな遠いところまで連れて行かれたのだ。病人の症状などお構いなし。恐るべし中国人。
近くには日本語の通じる病院がいくつもあって、もちろんそこでは海外保険も適用される。でも当時の私は、日本人とほとんど接触していなかったし、この時上海で初めて病院にかかったので、何も知らなかった。外国人だから、すごく面倒なんだ、遠くても仕方ないんだ、と単純に納得していた。