愛ノアイサツ
「あの・・・本当はあそこの席のチケット、私の物じゃなかったんです。誰かが私にかけてくれたパーカーに入っていた物で・・・本人に返そうと思ったんですけど、結局会えなくて・・・。」

モジモジと行き場の無さそうな様子に、僕はやっと昨日のこの子の状況を理解して、申し訳なさそう体を縮こませる目の前の少女にふっと表情を緩めた。

「くすくす、大丈夫。あのチケットはもともと誰にも渡すつもりはなかったから。」

そう言うと、女の子は驚いた様子で僕を見た。

「え?あの時私に上着をかけてくれたのってあなただったんですか?」

「え、あ・・・うん。」

少し恥ずかしくなって曖昧な表情で返した。少女はそれに気を悪くすることもなく、寧ろ嬉しそうに僕に言った。

「私ずっとお礼を言いたくて。パーカーも返してないし、コンサート会場で会えなかったからどうしようって思ってたんです。会えてよかったぁ。」

本当に嬉しそうに安心した様子で僕に笑いかけたから、分かっていてもまるでこの少女に自分が求められているような気がして、今この笑顔が僕だけに向けられていることにひどく胸が弾んでいた。

「あの、僕の名前に聞き覚えない?」

「城田稜さん、ですよね?うーん・・・ごめんなさい。」

一瞬不思議そうな顔をして考え込んでいたが申し訳なさそうに言った。

「そっか。変なこと聞いてごめんね。」

あんな昔に会った僕の名前なんか覚えてるわけないか。僕自身だってあの子の名前は思い出せないんだ。それに本人かも分からない。でも、遠い昔のあの子が今目の前にいるこの少女ならいい、なんて思っている自分がいる。僕は落ち込んだ表情を見せないように女の子に笑いかけた。

「昨日のコンサート、すごくよかったです。私、あんな演奏聴いたの初めてです。」

少し興奮した様子でそう言う少女の頬がほんのり赤い。

「ありがとう。君にそういってもらえるなんて嬉しいよ。」

本当の気持ちだ。どんな著名な作曲家や評論家に評価されたってこんなに心躍ったことなんてなかったと思う。こんな風に純粋に人から褒められて喜ぶなんて本当に久しぶりだ。

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