愛ノアイサツ
「少し風がありますね。昼間少し暑かったから、ちょっと涼しくなりますね。」

「そうだね。体は大丈夫?」

「全然平気です。今日が楽しみで昨日はなかなか眠れなかったんですよ?」

僕は眠れなかったんだけどなぁ。でも不思議と気だるさはない。

「さて・・・」

きらきらとした瞳に促されるように、僕は細長い黒いケースから楽器を取り出した。弓を張り松脂を塗る。耳でチューニングをして改めて首からヴァイオリンをはずし、少女に向かって一礼した。

「本日は僕のソロリサイタルにお越しいただきありがとうございます。」

そう微笑みながら言うと、少女がパッと顔を赤らめた。

「では、たっぷりとお楽しみください。」

“愛の挨拶”はぼくが中学1年の時に練習していた曲だ。本当はとっくに弾けて先生からも十分お墨付きをもらってたんだけど、どうしても納得できなくて何度も練習した。それでも結局、今でもこの曲を満足に弾くことができない。いつになったら弾けるようになるのかな。

でもそんな僕の”愛の挨拶”を目の前の少女が聞いている。だから今だけは、今までで最高の演奏ができればいい。

最後まで弾き終わって雪乃を見た。雪乃は、泣いていた。

「え、どうしたの!?やっぱり体調悪いんじゃ・・・」

僕は驚いて雪乃の顔を覗きこんだ。

「違うんです、なんだか言葉にならなくて・・・体中から感動して、涙が出てきて・・・」

雪乃はごしごしと涙をふき取ってから少し赤い目で僕を見つめた。

「ありがとうございます。こんな素敵な演奏、一生の宝物です。」

キラキラと輝く瞳から一筋の涙が頬を伝った。あぁ、人間はこんなにも美しい表情ができるのか・・・。僕は、震える雪乃の肩を思わず抱きしめていた。

「泣かないで。どうしていいか分からなくなっちゃうよ。」

抱きしめたその体は思っていた以上に細かった。肉付きがなく肋骨が出ている。そっと頭をなでてやると嗚咽を抑えながらこくこくと頷いた。


< 25 / 39 >

この作品をシェア

pagetop