AEVE ENDING







「…橘?」

雲雀が部屋に戻ると、倫子が床に転がっていた。

床と同じ視線から眺められている空は、どんな色をして彼女に媚びを売るのだろうか。



「…橘、」

その無造作に横になる体に手を伸ばす。
緩く弧を描く腰に腕を巻き付けながら、上体を起こさせるように抱き寄せた。

蒸せるような潮の香りが、倫子の髪から深く漂う。



「…おかえり」

後頭部を素直に預けてきた倫子の髪に、雲雀は帰郷を懐かしむように擦り寄った。

何気ない一言に、張り詰めていた息をやっと吐く。

この数時間で、精神的にも身体的にも消耗し過ぎた。


「…ただいま」

その言葉を合図に、倫子の腰に回していた腕に力を込め、更に密着する。

潮の奥に掠めた彼女の匂いに落ち着いていく心拍数を確認しながら、その耳に唇を寄せた。


―――ひやり。

皮膚を通じる冷たさに眉が寄る。



「ずっと床に寝てたの?」
「…あんたは桐生の為に走り回ってんのに、ひとりだけぬくぬくなんかしてられないよ」
「…君って、ほんとバカ」
「うっせーよ」


―――ばかだよ、橘。

僕をこんなに喜ばせて、手離せなくなったらどうするのさ。



「雲雀」

ゆるり。

倫子の指が雲雀の手を引き寄せて、その二の腕に縋るように頬を寄せてきた。

シャツ越しの仄かな体温が愛しい。


「あのさあ」

見つめる先は灰色の空。

重い暗雲は風に運ばれるまま、ただ静かに流れていた。



「…私、うちには帰んないよ」

それはなにを意図して口にしたのか。
頭の中を見透かされたような感覚。


(…橘?)




「ずっと伝わってたよ。あんたが「それ」を考えた瞬間から、今に至るまで」

あんたって、意外とバカ。

笑う。

無理に体勢を変え、こちらを覗き込んできた、眼に。


「…手離さないでよ、頼むから」


(私には、あんたしかいないのに)



―――それは、僕もだ。

口にする筈の音はしかし、躊躇いに消えた。
なによりも失いたくないと、信じてもいない神に祈るほど。

けれど。



「…橘は、本当にそれで」

愚問だった。

ただとにかく、無力な己として贖罪を果たしたいだけ。






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