恋時雨~恋、ときどき、涙~
赤いマフラーを首に巻いて、順也が車椅子を走らせて事務所から出てきた。


強い風にあおられながら、順也は静奈に微笑んだ。


順也と静奈が涙目で見つめ合う。


順也の唇が動く。


わたしはダッシュボードに身を乗り出して、順也の唇を読んだ。


「ぼく、もっと、仕事がんばるよ」


必死になって順也の唇を読んでいると、健ちゃんが肩を叩いてきた。


幼い頃から唇を読んできたから、だいたいは分かる。


でも、距離があると、さすがに読み取りにくいのだ。


邪魔されたような気がして、わたしは気分が悪かった。


振り向き、健ちゃんを睨みながら右手の人差し指を左右に振った。


〈なに?〉


「順也、なに言ってんのか、分かんねんけ」


と健ちゃんはしかめっ面をした。


〈唇、読めばいいじゃない〉


健ちゃんは肩をすくめて、首を振った。


「唇、読むの難しい。真央、読める? 見える?」


少し、びっくりした。


でも、そうか。


声が聴こえる健ちゃんは、唇を読んだことがないのか。


〈わたしが、訳すから〉


そう手話をして、わたしは再びダッシュボードに身を乗り出した。


順也の唇が動く。


「もっと、車椅子、上手に乗れるように、練習するよ」


そう言って、順也は静奈の左手をそっと引き寄せた。



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