恋口の切りかた
親父殿は、俺の体が完全に回復するのと、寝込んでいた母上が起き上がれるようになるのとを見届けて江戸へと戻った。


「儂が帰るまでに留玖の口からお前の妻になりたいと言わせてみせろという約束、よもや忘れていまいな?」

親父殿は江戸へと発つ前にそんなセリフを寄越してきて、

「結局、そんな言葉を儂は留玖の口から聞いておらんが」

などとニヤニヤしながら言った。

「それは──」

俺は言葉に詰まった。

「だいたい──期限は一年って話だったじゃねーか。
こんな時期に戻って来るなんて、完全に予定になかっただろうが!」

冷や汗をかきながら俺が言い訳を口にすると、「ふむ」と親父殿は頷いて

「まあ、風佳殿との話もなくなったし……良かろう。
儂も正直、大河殿の手前、当てつけるようにすぐに他家との縁組みをするのも避けたいところだ。

当面は焦らず、じっくり腰を据えて留玖の相手をするがいい」

などという有り難い言葉をくれた。

「ただし、可能性がないと見れば直ちにこの話はなかったことにするから、そのつもりでおれ」

そんな風に宣って、親父殿は江戸へと引き返して行った。



「ボクが死にかけている間に、貴様も散々な目に遭ったらしいな」

体が回復して久しぶりに長屋を訪れた俺に、鬼之介はそう言った。

聞けば、与一の義眼を作るのに没頭する余り、一週間に渡って寝食を忘れ、部屋の中で行き倒れて死にかかっているところを、

義眼の様子を見るためと
俺が毒にやられたという報せのためとで長屋を訪れた与一に発見され、九死に一生を得たらしい。
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