キミは聞こえる
 親切だったようだ。ならば掴まることが礼儀だろう。

 と、頭では思いながらもなかなか手が出ない。

 それでもなんとか手のひらを重ねると、優しく包まれ、桐野を支えにようやく河川敷に降り立った。

「言うほど高くないよ。ヒールも太めだし」

 歩くたびコツコツ鳴るような、お姉さんたちが好みそうなハイヒールにはなかなか手が出ない。
 転んだときを想像するだけで痛くなる。

「今日はずいぶんまともな格好じゃねーの」
「ようやく友香ちゃんの許可が下りた」
「リュックは相変わらずか」
「なにかあったときのために」

 桐野の目がサイドポケットの膨らみに向けられる。そっちは唐辛子スプレーだ。

「どこか行くところだったのか?」
「うん、ちょっと。なにか用?」

 話があるならさっさと済ませてくれ。リュックを置いて、桐野に向き合う。
 桐野はいつものように肩を落とし、ため息をついた。

「だからさぁ…なんも用がないと呼んじゃいけねぇの?」
「基本は。練習中だったのでは?」
「休憩しようと思ってたとこだ」

 ジャージーの下からスポーツ飲料のペットボトルを取り出し、キャップを開ける。

 桐野の頬は赤く上気し、首から顔にかけてうっすらと汗ばんでいた。

 どうせろくな話じゃないのだろうとは予想していた。
 なにせ、桐野だから。

 お得意のただ呼んでみた、もそろそろ慣れてきた。

 まぁ泉のほうも別段急ぐ用事ではない。

 翔吾のことを思えば急がなければならないことは確かだが、今日明日でどうこうできる問題でないこともわかっている。

 母親に会う必要はないのだから、話をする時間は充分にある。

 水分補給中の桐野を尻目に、泉は今し方桐野が蹴っていたボールへと近づいていく。

「これ、桐野君の?」
「ん」

 いま履いているヒールでボールを蹴るわけにはいかない。それ以前に、サッカーはもうこりごりだ。

 やはりスポーツは観戦に限る。
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