かえりみち
清冽な痛みが、卓也の脳天を抜けていった。
「?」
卓也は、なぜ自分が叩かれたのか分からなかった。
いや、叩かれる理由はある。
大切な夫をこんな目に遭わせて。
どの面下げて来てるのよ、この疫病神!
あるいは、
歩の亡霊!
また私を苦しめるために出てきたの?
しかし、由紀子の平手から伝わってきたのは、そのどちらの感情でもなかった。
由紀子は怒っていた。
そして、泣いていた。
「どこほっつき歩いてたのよ!」
卓也の襟元につかみかかる。
間近で見る由紀子の目は、泣きはらして赤くなっていた。
涙はなおもポロポロとこぼれて、止まらない。
「あれをリサイクルショップなんかで見つけたら!」
由紀子はそう言って、自分がさっきまでいた場所を指差した。
ソファに、昨夜質屋に出したはずの、卓也のチェロケースが腰掛けている。
「死ぬつもりなのかと思うじゃない!心配して、夜中探したんだから!」
「すみません・・・電車に乗るお金がなくて、つい・・・」
感情を一通り吐露して気が抜けたのか、襟元をつかんでいた由紀子の手が緩んでいく。
「また・・・ごめんねって言えないままお別れなのかと思ったじゃない・・・」
最後は力なくそう言うと、卓也の胸に頭を預けて泣き続けた。
卓也は呆然としていた。
自分は今、自分が姿を消した、その後の世界を見ている。
そのことに、今初めて気づいて呆然としていた。