かえりみち
「そして、窓を開けて」
卓也の視線の先をたどるように、百合も上を見上げる。
二人を見下ろすように建っている病棟の窓の一つから、さっきのテディベアが顔をのぞかせていた。
百合の顔に、笑顔が戻る。
「うん」
病棟へ向けて歩き出した百合が、卓也に背中を向けたまま、立ち止まった。
「ねぇ、タク」
「ん?」
「わたし、全然後悔してないからね」
百合がしているのは、あの夜の話の続きだということが卓也には分かった。
卓也は百合の、現実をいささか無視した超前向き発言に、失笑するしかなかった。
「・・・よく言うよ」
こんなダメチェリストの命を守るために、好きでもない人と一緒になるなんて。
僕はやっぱり、許せない。
百合がくるりと振り返り、卓也を見る。
「ほんとだよ!だって、タクが生きてて、チェロを弾いてくれる。わたし、ほんとに幸せなの」
その瞳はどこまでもまっすぐで、一点の曇りもなかった。
「だから、…こんなこと言うの、わがままかもしれないけどさ。ずっと、チェロ弾き続けて欲しいな。そしたらきっと、聞えるでしょ?離れていても」
純心さというのは言葉を変えれば、汚れた者には手出しのできない領域の、清らかな頑固だ。
百合を早く病棟に戻すために、卓也はこう言うより他になかった。
「・・・うん」