かえりみち

「そして、窓を開けて」

卓也の視線の先をたどるように、百合も上を見上げる。
二人を見下ろすように建っている病棟の窓の一つから、さっきのテディベアが顔をのぞかせていた。

百合の顔に、笑顔が戻る。
「うん」

病棟へ向けて歩き出した百合が、卓也に背中を向けたまま、立ち止まった。
「ねぇ、タク」

「ん?」

「わたし、全然後悔してないからね」

百合がしているのは、あの夜の話の続きだということが卓也には分かった。
卓也は百合の、現実をいささか無視した超前向き発言に、失笑するしかなかった。

「・・・よく言うよ」

こんなダメチェリストの命を守るために、好きでもない人と一緒になるなんて。
僕はやっぱり、許せない。

百合がくるりと振り返り、卓也を見る。

「ほんとだよ!だって、タクが生きてて、チェロを弾いてくれる。わたし、ほんとに幸せなの」
その瞳はどこまでもまっすぐで、一点の曇りもなかった。

「だから、…こんなこと言うの、わがままかもしれないけどさ。ずっと、チェロ弾き続けて欲しいな。そしたらきっと、聞えるでしょ?離れていても」

純心さというのは言葉を変えれば、汚れた者には手出しのできない領域の、清らかな頑固だ。
百合を早く病棟に戻すために、卓也はこう言うより他になかった。

「・・・うん」


< 150 / 205 >

この作品をシェア

pagetop