かえりみち


安川の前に、一台のチェロ。
安川はそれをひっくり返したりF字孔からのぞいてみたり、丹念に調べている。

ここは高伊音楽院の安川教授の部屋。

「ふむ。」

チェロを弾いてみる。
心に染み入るような、解放弦の音色に、満足げな表情を浮かべる。

傍らのチェロケースには、「作:阿南春樹」と書かれた張り紙。

安川がどこかに電話をかける。

「あ、もしもし早乙女教授? 今度のコンクールに出品する生徒なんですがね。」

安川がにやり、と笑った。

「阿南春樹に決めましたよ。」

電話の向こうが急に騒がしくなった。
早乙女教授が、キーキー騒いでいる。
それに構わず、受話器を置く安川。

笑いがこみ上げてくる。

最初会ったときは、二人とも落ちこぼれだったのに。
二人とも、今はそれぞれの高みを目指してキラキラと輝いている。
これだから、教師はやめられない。


部屋の扉がカチャリ、と開いた。
安川が振り向く。

「お、タクヤ。帰ってきたか。」

嬉しそうに立ち上がる安川。

「お腹すいたろ。今ご飯あげるからな」

キャットフードを床の皿に出すと、タクヤと呼ばれたミケネコがパクパクと食べ始める。
ネコをなでる安川。


人間のほうの卓也も、早く戻って来い。




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