かえりみち
まもなくして、奥のドアの向こうから戻ってきた正卓の手にはマグカップ。
湯気の立つそのカップを、卓也に突き出す。
「・・・」
正卓は思い出していた。
タオルをかぶった濡れネズミに、ここでコーヒーを出すのはこれが初めてではない。
前のネズミはもっと小さかったが。
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バスタオルの中から、差し出されたカップを受け取る小さな両手。
一口口をつけると、歩の口がゆがんだ。
「まずい・・・」
それ以上口をつけずに、テーブルに置いてしまう歩。
「うちにはそれしかないんだ、わがまま言うな」
正卓はなんとか平静を装おうとして、室内を無意味に歩き回っていた。
落ち着け。
まず、俺も体を拭く必要がある。
「おじさん・・・足から血ぃ出てるよ」
ここで初めて、自分の右の太ももがざっくり切れて、出血していることに気づいた。
あの濁流の中で、流木か何かにぶつかったのだろう。
よく見ると、体のあちこちに無数の生傷ができている。
しかし今はそれどころではない。
とりあえず、バスタオルできつくしばって止血した。
「お前は?どこか怪我してないか」
歩は、こくりとうなずいた。
バスタオルの中からのぞく大きな瞳と目が合った。
自分で川に落ちた奴だ、どこか痛くても「痛いよう」とは言わないだろうが。
目に力があったので大丈夫だろうと分かった。
「・・・暖まったら、帰るんだぞ?いいね?近くまで送ってあげるから」
そう、それで今夜のことは何事もなかったことにできる。
「やだ」
歩はきっぱりと答えた。
「お父さんもお母さんも心配してる。きっと今も探してるぞ。」
歩が川に飛び込んだとき、車が通りがかった。
きっともう警察に通報されて、捜索が始まっているだろう。
「いいの。僕はいない方がいいの」
歩は、正卓をまっすぐに見つめた。
「おじさんて・・・僕のほんとのお父さんでしょ?」