私、海が見たい

海岸線を車が走る。

しかし、あたりはもう暗くなっていて、
海は見えなかった。

街に近づくにつれて、2人の会話は
少なくなってきていた。

突然、恵子の明るい声がした。

「今日はどうもありがとう」


その言葉は、別れの時が迫っている事を
中村に、思い出させた。

「今日は、楽しかったわ。
 いろんな海を見たし、
 もう一度、あなたと
 ドライブできるなんて
 思ってもみなかったし」


しかし中村には、
別れの言葉は言い出せなかった。

「家まで送ろぅか?」


「ううん。いいの。
 買い物があるから、街でおろして」


別れの時が、また、早くなった。


商店街の、電器店の前で、車を止める。

恵子が降りようとした時、
中村はノートを出して、

「これ、俺が今まで創ってきた
 短歌なんやけど、
 よかったら読んでくれへんか」


恵子はノートに目を落とし、
ノートを受け取ると、

「いいわ。帰ってから読むわ」 


恵子はノートを右手で胸に抱え、
車を降り、ドアに手をかけ、

「今日はありがとう。楽しかったわ。
 それじゃ……、さよなら」


「じゃあ」


中村は、名残惜しそうな声だったが、
最後まで、別れの言葉は、言えなかった。

恵子はドアを閉めた。

中村は、名残を断ち切るように車を出した。

しかし、バック・ミラーを
見ずには、いられなかった。

バック・ミラーの小さな恵子が、遠ざかる。


車を見送る恵子。

車が、遠ざかって行く。

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