自分探しの旅
―円心。生没不詳。室町中期の人。臨済宗。播磨(兵庫県)の人。号は月堂。幼にして信濃(長野県)の明禅寺曇渓に参じて祝髪受戒す。十禅寺の天寿に参じて契悟す。放浪の後、晩年近江(滋賀県)智海寺に住し、某年正月晦日示寂。世寿七〇余。
確かに、どこかの寺の住職を努めて、七十歳で天寿を全うしているようだ。当時の人々から多少の尊敬の念も集めていたかもしれない。しかし、歴史に名を残すような偉人ではない。闇の世界で日本史を動かしたといった片鱗も見あたらない。
京介は、少し拍子抜けした。当たり前と言えば当たり前だ。前世で大どうぼうで、現世で大聖人とかなさそうなことぐらい、京介にもわかった。考えてみれば前世の延長線上に現世があるわけで、今の自分を見れば、前世のおおよそのことはわかりそうなものである。前世など知ってしまえばそういうものなのかもしれない。
確かに、どこかの寺の住職を努めて、七十歳で天寿を全うしているようだ。当時の人々から多少の尊敬の念も集めていたかもしれない。しかし、歴史に名を残すような偉人ではない。闇の世界で日本史を動かしたといった片鱗も見あたらない。
京介は、少し拍子抜けした。当たり前と言えば当たり前だ。前世で大どうぼうで、現世で大聖人とかなさそうなことぐらい、京介にもわかった。考えてみれば前世の延長線上に現世があるわけで、今の自分を見れば、前世のおおよそのことはわかりそうなものである。前世など知ってしまえばそういうものなのかもしれない。