紅芳記
産まれた子は殿の幼名と同じ源三郎と名付けられました。
そして、源三郎が産まれた霜月にはまた大きな事件が起こっていたのでございます。
それは何と、かの大老前田大納言様のご長男で、同じ老中職にあった前田肥前守(前田利長)様が謀反の疑い之有りとして、内府様による加賀征伐が勃発しようとしていたのでございます。
肥前守様はなんと、実の母である芳春院様を人質として江戸に差し出し、自身の養継嗣である利光様(後の前田利常)の正室に江戸中納言様とその御正室となっていたお江与の方様との姫君の珠姫様を迎えるとこで、事無きを得たそうでございます。
諸々思うところはございますが、なんと言っても御自身の母君を人質として、しかも内府様の本拠地の江戸にとは、大坂の秀頼君を差し置いて、まさに内府様こそが天下人の様でございます。
その様な大事件が起こった慶長四年の暮れに、久しぶりに大殿や信繁殿も信濃にお帰りになり、数年ぶりに家族が揃って新年を迎えられそうでございます。
京を離れなれない御前様がいらっしゃらないのが、なんと残念な事でしょうか。
利世殿もこの時は信繁殿に連れられて、初めて沼田の城にお越しになる予定でしたが、京の御前様をお一人で上方にお残しするわけにも行かずに京屋敷にお残りになりました。