アリスズ

 どっどっどっど…どうしよう。

 景子の心臓は、自分のどもりの音よりも激しく打ち鳴らしている。

 震える手には、太陽の枝。

 彼女に言い渡されたのは。

 この吉兆である太陽の木の枝を──儀式が終わったばかりの、イデアメリトスの子に捧げよ、というものだったのだ。

 彼らは、枝の到来を伝説と呼んだ。

 その伝説を、宗教画のような構図で仕上げようという気なのである。

 い、いえ、私はこの枝を接ぎ木したかっただけで!

 そう伝えたかったのに、景子の頭は突然のことに沸騰し、日本語でさえ不自由な状態になってしまったのだ。

 あわあわしている内に、神官たちに引っ張られて連れて行かれる。

 あ、いやだって。

 心の準備なんか、出来ていなかった。

 枝を捧げる相手は、おそらくアディマなのである。

 向こうも驚くだろうし、彼女もどんな顔をしていいか、まったく分からなかったのだ。

 彼女の心などよそに、広い礼拝場のようなところにたどりついた。

 そこに、景子は跪かされる。

 頭も垂れさせられた。

「そのまま…そのままでおられよ」

 そして──神官は、後方へと下がったのである。

 枝を握りしめ、景子はただただ石づくりの床を見た。

 綺麗に磨きあげられているために、膝をついても痛くはなく、ただ少し冷たいだけ。

 ずっとずっと前の方から。

 石の床を踏みしめる、固い音がした。

 誰かが、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来ているのだ。

 その足が。

 足が、すぐ前で止まった。

「イデアメリトスの子に、贈り物が届いております…太陽の木の枝です」

 勿体ぶった神官が、朗々とそれを謳い上げる。

 あ、ああ。

 景子は、ゆっくりゆっくりと顔を上げた。

 アディマ。

 そう、心の中で呟きかけた言葉は──露と消えた。

 顔を上げている最中で、違和感がこみ上げて来たのだ。

 アディマじゃ…ない?
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