アリスズ

 顔を、跳ね上げていた。

 いきなり、全身に血液が巡り始め、目の前が変な色に点滅し始める。

 その点滅のせいで、見たいものがはっきりとよく見えない。

 景子は、口を鯉みたいに開けて、酸素を必要とした。

 だが。

 光だけは、その光だけはちゃんと見えた。

 ブーツに隠された光ではなく、この人間自身の持つ光だ。

 間違いなく──アディマと同じ者。

「ア…ディマ…」

 酸素をうまく取り込めない口で、途切れ途切れの名前を呼ぶ。

「うん…僕だよ…ケーコ」

 そこには、青年がいた。

 黒髪はすっかり短くなっていたが、褐色の肌と琥珀がかった金の目をした男だ。

 一体。

 一体、何があったのか。

 あの子供ならざる者は、一足飛びに菊の年齢を追い越しているように見えたのだ。

「ど…どして…アディマ」

 目の前が、霞む。

 声が、歪む。

 目頭が熱くなって、もっとちゃんと見たいのに、どんどん彼の顔を不鮮明にしてゆくのだ。

 そんな彼女に、アディマは膝を折る。

 周囲が少しざわついたが、景子はそれどころではなかった。

「どうして…は、僕の言葉だよ。どうして、黙っていなくなってしまったんだ?」

 そう囁かれるが、彼女はただただそれに、首を横に振るしか出来ない。

 もはや、言葉など出せる状態ではなかったのだ。

 腰は抜けたし、涙は止まらないし。

 このまま景子は、床の上で涙の石像になってしまうかと思った。

 そんな彼女を、深い瞳でじっと見つめながら、アディマは辛抱強く側にいてくれるのだ。

 憐れだったのは、神官たちだったろう。

 彼らがそうしている間、神官たちもまたそこに縫い止められ続けていたのだから。
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