アリスズ

「え…イデアメリトス?」

 覚えた言葉を、何とか頭の中で反芻しようとした景子は、その中に不穏な単語が混じっていることに気づいたのだ。

 忘れたくとも、忘れられない──その名前。

「ええと…アディマの…」

 血縁であることは、間違いなかった。

 やばい予感を拭いきれないまま、彼を見る。

「アディマ、か…随分、短く呼ばれているようだな。うちの愚息は」

 愉快そうに笑われて、景子は冷や汗が流れた。

 愚息──要するに、アディマの父親、というのだ。

 景子と、さして年も変わらないほどにしか見えないというのに。

 そして、思い出すのだ。

 髪を伸ばすイデアメリトスを。

 年齢詐欺の一族だったんだっけ。

 景子は、がっくりと頭を垂れた。

 自分の感覚にないことだけに、反射的に理解できないのだ。

 ただ、不思議なことに。

 アディマのような激しい光を、いまの彼はまとっていなかった。

 だから、イデアメリトスだと考えもしなかったのだ。

 首を傾げたところで、理由が分かるはずなどないのだが。

「あ、いえ…私、この国のこと分からなくて、言葉も分からなくて、最初にそう呼んでしまって…」

 焦りながら、景子は言い訳を始めた。

 呼び方は、変えようかと聞いたのだ。

 しかし、アディマが望まなかった。

 景子にとって、イデアメリトスは意味がないから、と。

「異国の者では、しょうがあるまい…では、私のことはザルシェとでも読んでもらうか」

 ふふふと口の中で笑いを浮かべながら、イデアメリトスの現の主君は、おそろしいことを言い出す。

 む、無理だから。

 青ざめながら、景子は両手を振ってそれをアピールしなければならなかった。

「で、どこの国から来たのかね? この大陸は、私の祖先が統一したはずだがな」

 時折。

 金褐色の瞳は、激しく閃く。

 アディマよりも、もっと強い眼力だ。

 一瞬、それに呑まれそうになりながらも、景子は踏みとどまった。

 こういう時は。

 脳裏に、菊が翻る。

 彼女が教えてくれた。

 胸を張って、こう言うのだと。

「日本です」
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