アリスズ

「名前を…教えていただけない?」

 梅は、テイタッドレック卿宛の荷物を彼に預けながら、そう問うていた。

 行商人の男──それだけで通すには、縁があるように思えたのだ。

 今後も、頼みごとなどあるかもしれない。

 だが。

「ああ…ごめんなさい。私の名前は…」

 その前に、自分の名を改めて自分から告げようとした。

 そうするしなければ、不躾だと思ったのだ。

「ウメ…でしょう。知っています」

 しかし。

 先に、言われてしまった。

 家畜以下の、短すぎる名前。

 彼女が、前にアルテンに言われた言葉を思い出し、微かに苦笑しかけた時。

「…リクで結構です」

 男は。

 自らも、短い名前を名乗った。

「いいえ、正式な名前を教えていただきたいの」

 梅は、エンチェルクの時とは、違う意味でそう言った。

 この世界の人の名前は、とても長い。

 しかし、長いからこそ、個人を特定しやすいのだ。

 同姓同名が少なく、名前の部分だけでも誰であるか間違いづらい。

 彼は行商人だ。

 この国の、あちこちを渡り歩いている人間である。

 ウメの知っている人間に、直接または間接的に会うこともあるだろう。

 彼に、何かを伝言しておくこともできる。

「今後…あなたに何か、依頼をすることもあると思いますから」

 だから、きちんとした名前を教えて欲しかった。

「…リクパッシェルイル。これでよろしいですか?」

 名前だけ、しか答えない。

 フルネームで名乗りたくない理由でも、もしかしたらあるのかもしれない。

 それでも十分だった。

「ありがとう…リクパッシェルイル。もし、都に行くことがあって、景子という女性に会ったら…私は元気にしていますと伝えてください」

 そんな梅の言葉に。

「……リクでいいですよ」

「わ、私だってエンでいいんです! 本当です!」

 苦笑のリクの向こうから、エンチェルクまで参戦してしまった。
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