アリスズ

 出ようと、したのだ。

 なのに、後ろからの手が、彼女を引きもどして──抱きあげる。

「あっ…アディマ…っ」

 驚きのあまりに、声が上ずってしまった。

「その身体で歩くのはつらいだろう…部屋まで送っていくよ」

 お、お、お、お、送っていくって!

 東翼から西翼までの間には、人の多い中央の宮殿があるのだ。

 いくら夜になったとは言え、誰もいないわけではない。

 景子との逢瀬は、秘密なのだ。

 これでは、秘密でも何でもないではないか。

「髪を一本、抜いてくれないか」

 アディマは、微かに頭を景子の方へと傾ける。

 両腕は、彼女を抱きあげているせいで、空いてないのだ。

 魔法を使う気なのだろうか。

 おそるおそる、手を伸ばして彼の黒髪を一本取る。

 彼の目を見ると──そう、と頷いてくれた。

 ぷつん。

 さしたる抵抗もなく、それは引き抜かれる。

 イデアメリトスは、それを手に巻きつけて使っていた。

 だが、彼の両手はふさがっていて。

「唇に、くわえさせて」

 言われるがまま、ぴんと髪を横に張って、彼の唇に挟むような形でくわせさせる。

 アディマは、しゃべることが出来なくなり、目を細めながら彼女を見つめた。

 そのまま部屋を出て、東翼の廊下から中庭へと歩いていく。

 ぽっと。

 暗くなりかけた庭に、緑の火がともった。

 彼の唇の髪の毛が、緑に燃え上がったのだ。

 何が起きるのかと思っていたら。

「………!」

 声にならない悲鳴と、みぞおちを襲う浮遊感。

 アディマは──空を飛んだのだ。

 あわわわわわわ!

 景子は、彼の首にぎゅうっとかじりついているしか出来なかった。
< 282 / 511 >

この作品をシェア

pagetop