アリスズ

 帰りの荷馬車の中。

「さて…旦那が必要だな」

 アディマと別れた余韻で、景子が少ししょんぼりしていると──ロジューが突然、変なことを言い始めた。

「は?」

 彼女の視線は、こっちを見ている。

「いや、お前に旦那がいるなと思ってな」

 ロジューは、いたって真面目に考えている顔だ。

「お前の言うように、妊娠しているというのなら、夫がいないというのも怪しまれるだろう」

 名目上の夫が必要だ──そう、彼女は言うのだ。

 い、いらないかも。

 ケイコとしては、そこは抵抗したいところだった。

「あの…無理には…別に…」

 もにょもにょと、口の中で歯切れの悪い音を呟くと、彼女の睨みが上から飛んでくる。

「お前が、ずっとうちの屋敷に閉じこもっているならば、それもよかろう。もう農林府に行くのも、諦めるというのならばな」

 言葉は、鋭かった。

 鋭く、景子の痛いところを刺すのだ。

「役所はな…お前が思っているよりうるさいところだ。お貴族様が、上から仕切っているんだぞ。そこに、ド平民のおまえが、ふしだらにも誰が相手か分からない子を孕んで出勤したら…どうなると思う?」

 極限まで細められたロジューの金褐色の目が、彼女を水平に斬ろうとする。

 あうあう。

 景子の脳裏には、あの顔色の悪い上司が浮かぶ。

 確かに、彼に理解してもらえるとは思えなかった。

 かろうじて同僚のネイディが、いやな顔をしつつ放置してくれる、くらいか。

「腹が大きくなろうが、好きなことをしていい。愚甥のことは気にするな。農婦たちを見てみろ。臨月のギリギリまで働くんだぞ」

 ロジューは、景子を甘やかそうとしていたアディマを睨むかのように、あらぬ空間に向かって顔を顰める。

 確かに、ずっとおとなしくしているのは、彼女にも合いそうになかった。

「まあ、心当たりはある。まかせておけ」

 ふふん。

 彼女は、何か悪いことを思いついた顔で鼻を鳴らす。

 何か。

 いやな予感がした。
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