アリスズ

 菊は、ゆっくりと顔を上げた。

 薄明かりの差し込む道場。

 東からは、薄紫の朝が近づいてきており、朝の涼しい空気を運んでくる。

 山基流の道場が、ついに完成したのだ。

 日本のそれに似せて作った。

 この国らしい道場というものは、まだ菊には分からなかったのである。

 本物ではない。

 だが、似ているものでいいのだ。

 そのうち、人の心を吸い取って、最終的にこの国としての道場になってゆく。

 内畑と呼ばれる地区のすぐ側。

 人の雑音もなく、緑や土の匂いがする。

 振るか。

 菊が立ち上がり、木剣を握った時──入口に、背の高い男が現れた。

「早起きだな…アルテン」

「朝、旅立つ前に必ず稽古…歩き疲れた宵にも稽古、でしょう?」

 笑って道場に入ろうとする彼に、菊は手で止めた。

「入る前に、礼だ」

「何に対してでしょう」

 アルテンは、笑みを止めた。

 彼は、人に対しての礼は理解している。

 だが、旅の間に教えられなかったものも数多くある。

 元々が、頭のいいひねくれものだ。

 納得のいかないものには、いくら菊の言葉があっても頭は下げないだろう。

「お前を受け入れ、見守ってくれる…この道場に、だ」

 言うと、アルテンは視線をぐるりと巡らせた。

「生きていますか?」

 声は、懐疑的ではない。

 菊がどう答えるのか、聞きたがっているだけ。

「生まれたてだがな…そんな生まれたてでも、私を既に包んでいるぞ」

 すぅっと、菊は息を吸った。

 新しい木の匂いが、肺に取り込まれる。

「分かりました」

 アルテンは、その高い位置の頭を下げる。

 この道場が、初めて吸ったのは──菊とアルテンの汗だった。
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