アリスズ

 ウメが、さらわれたという。

 アディマの耳に、ケイコを通じてそれは伝えられた。

 魔法でも使ったかのように、いなくなったと。

 ケイコは、すっかり動転していて、何とかかいつまんで彼はそれらを理解したのだ。

 またも、イデアメリトスが噛んでいるのか。

 そう思いかけはしたが。

 いま、この宮殿にいるイデアメリトスは、二人だけなのだ。

 父と自分。

 叔母は、近々婚姻の儀のためにやってくるが、まだ来てはいない。

 アディマに、心当たりがあろうはずもなく、父がわざわざウメを誘拐する理由もなかった。

 貴族たちの、利害ひしめく暗い箱。

 いまの宮殿の裏側が、それだと証明するような事件だ。

 ダイから、最近ウメやキクの身辺が穏やかではないという話は聞いていた。

 アディマに出来るのは、宮殿にいる間、ウメの護衛を許可する程度。

 それでもなお、彼女を邪魔だと思う者は、行動するのだ。

「わ、私も探しに行っていい?」

 慌てながらも、ケイコはそれを訴える。

 黙って座っていられないのは、見ていても良く分かる。

 彼女の、数少ない同胞の身が、危険なのだ。

 こんな時でも、ケイコはアディマに『魔法で探して欲しい』ということは言わない。

 言われたとしても、失せ人を見つけられるような、都合のいい魔法はないのだが。

「分かった…護衛を連れてゆくんだよ」

 だから、アディマは許可を出すしかなかった。

 イデアメリトスの世継ぎとしては、あまりおおっぴらには動けないのだ。

 彼が動けば動くほど、貴族たちの嫉妬が大きくなる。

 何の爵位も持たぬ娘に、と。

「ありがとう!」

 一度、アディマの首に抱きつくと──妻になる者は、飛び出して行ってしまった。

 既に、時間は夜。

 弱い身体のウメには。

 それは、とても危険な時間に思えた。
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