アリスズ

「ウメ…ウメはいるの?」

 イエンタラスー夫人の甲高い声に、ウメは振り返った。

 声は、窓の開け放たれた屋敷の中から。

 彼女は、あたたかな午後の日差しの下で、景子からもらった花を育てていた。

「夫人、ここですわ」

 静かな声で、彼女は応えた。

 もしかしたら、声は屋敷の中まで届いていないかもしれない。

 しかし、廊下を歩く夫人に手を振ると、ようやく彼女は気づいたように窓辺に立った。

 二人の日本人が旅立って、1ヶ月。

 梅は、日常会話には困らないまでに至っていた。

 身体が弱かったせいだろう。

 元々彼女は、外に飛び出せない分、縫い物や本や琴に生け花と、インドアなことに傾倒していたのである。

 そんな梅に、イエンタラスー夫人は、家庭教師までつけてくれた。

 異文化の得体の知れない娘に、よくしてくれる恩を、梅は出来る限り返した。

 竪琴のような弦楽器を覚え、こちらの世界のお茶の作法を覚え、活け花で部屋を飾り、頂いた華やかな布地で和裁を始めた。

 文化的なことに理解のある夫人にとっては、それらはとても喜ばしかったようだ。

 何かあると、ウメ、ウメと呼んで側にはべらせようとしてくれる。

 今日も、何かあったようだ。

 部屋に呼ばれて入ってみると。

「ウメ、ウメ、聞いてちょうだい」

 夫人は、とても上機嫌だった。

「隣領の、テイタッドレック卿にお手紙を差し上げたら、とっても興味を持たれてね…是非、遊びに来て欲しいというのよ」

 梅は、細い首を傾げた。

 長い文章を理解出来なかったワケではないのだが、初めて聞く名前でもあったし、多少の言葉の省略の部分がうまく見えなかったのだ。

「隣領へ、ご訪問されるのですか?」

 とりあえず、要約してみる。

「そうよ、あなたも一緒よ、ウメ。だって、テイタッドレック卿は、不思議な国からきた、あなたに興味を持たれたのですもの」

 梅の知らないところで──夫人は、自慢の限りを尽くしていたようだ。
< 55 / 511 >

この作品をシェア

pagetop