アリスズ

 荷馬車が用意されていた。

 飾り立てた幌のついた荷台の中は、暖かな敷物にクッションが用意されている。

 お金持ちの移動手段、と言うべきか。

 使用人たちが、荷馬車の準備を始めているのを見ながら、梅は先に旅立った一行のことを思い出した。

 そう言えば、彼らは徒歩だった、と。

「夫人…私をここに連れて来た方々は、どうして荷馬車は使われなかったのですか?」

 夫人が、最上の出迎えをする相手である。

 それならば、もっと豪奢な荷馬車で移動してもいいはずだ。

「あの方は、自分の足で行かねばならぬのです…間に合えばいいのだけれども」

 ふぅ。

 イエンタラスー夫人は、ため息をこぼした。

「間に合う?」

 梅は、繰り返す。

「そう…あの方は、誕生日までに──にたどり着かなければならないのだけれど」

 心配そうな夫人の声。

 彼女は、分からない言葉の意味を問いかけた。

「神殿よ…捧櫛の神殿」

 神に櫛を捧げる特別な建物──平らにならした言葉で、ようやく意味が分かる。

 神事の場所のようだ。

 そこへ『彼』は、歩いてゆかねばならない、と。

 ああ、なるほど。

 神事には、形式がつきものだ。

 身を清めたり、何らかの試練を受けたり。

 そのような、しきたりなのだろう。

「でもねぇ…」

 夫人は、困った顔をしている。

「もう、お二方も失敗してらっしゃるのよ…今回のお方がたどりつけないと、あとお一方しか残ってらっしゃらないはず」

 空をあおぐのは、暗い未来について憂いているせいか。

 梅もつられて心配しかけたが──記憶の中に住む者が、首をすくめて反論しているように思えたのだ。

 定兼を携えた、彼女の愛すべき姉妹だった。
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