アリスズ

 控えの間に戻ると、他の使用人はいなくなっていた。

 梅と、あの褐色の肌の使用人だけになる。

 ふぅと深い息を吐いて、梅は椅子に浅く腰掛けた。

 着物の帯があるために、背もたれに身体を預けられないのだ。

 使用人は、いまにもまたボンボンが入ってくるのではないかと心配しているようで、扉と梅の両方を見比べるような動きをした。

「あなた…お名前は?」

 そんな彼女に、穏やかに声をかける。

 使用人は、びくぅっと飛び上がった。

 本当に、文字通り飛び上がったのだ。

 自分に声がかかるとは、思ってもみなかったのだろう。

「あ、あのっ、私、何か無作法なことをし、しましたか?」

 眉尻を、思い切り下げながら問いかけてくる。

 いつも、あのボンボンにでも叱られているのだろうか。

「いいえ…よかったら私の話し相手になって欲しいと思って…名前を知らなければ、呼びかけも出来ないでしょう?」

 梅は、確かに夫人の庇護にあるために、よい立場に置いてもらっている。

 しかし、決して自分自身の身分があるわけではないということもちゃんと知っているのだ。

「は、はぁ…ええと…では、エンとお呼び下さい」

 遠慮がちに、娘は応えた。

 梅は、それに首を傾げる。

 本当は、笑ってしまいそうだったのだが、誤解を生むと思い我慢したのだ。

「ちゃんと本名を言ってくれていいのよ…聞き取れると思うから」

 さっき。

 名前が短すぎて家畜以下の扱いをされた梅に、気を遣っていると思ったのである。

 髪も長いが、名前も長い。

 この世界のしきたりにも、彼女はだんだん慣れてきていた。

「で、では…エンチェルクと…」

 もしかしたら、まだ略しているのかもしれない。

「そう…私はウメ、よろしくね」

 しかし、梅はその辺で納得した。

「で、さっきの殿方は…テイタッドレック卿のご子息でいいのかしら?」

 問いかけに。

 エンチェルクは、複雑な表情に変えながら頷いたのだった。
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