アリスズ

 ああ。

 景子は、最初は匂いに、そして次は光に導かれた。

 果物の木だ。

 果物の木が、一本あったのである。

 町の人に、その実は愛されているのだろう。

 果実は、もぎとられてひとつも残ってはいない。

 だから、光は弱まってはいた。

 景子は別に、果物を泥棒しに来たわけではない。

 匂いに、そして木の風貌に、光の色に、思うところがあったからだ。

 あの、太陽の木と。

 ああそう、お前はあの木の親戚なのね。

 おめでたい、太陽の木に似た果実。

 神殿のあるこの町だからこそ、こんな木が植えられているのかもしれない。

 しかし、これまでに1本しか見なかったということは、そこまで出回っている種類ではないのだろうか。

 荷物を下ろす。

 そこには──枝が。

 1本の、枝がしまいこまれていた。

 少しの水でも、それはまだちゃんと生きている。

 微かな光を見詰めた後、景子はそこでようやく菊を振り返ったのだ。

 彼女は、ちゃんとそこにいてくれた。

「菊さん、小刀を貸してほしいの」

 菊は、あの農村の髭のおじさんに、それをもらっていた。

 生活に必要なものだったのだ。

 菊は、小刀を首から外す。

 なくさないように、すぐ使えるように、彼女は紐でぶら下げていたのである。

 枝と小刀を持ち、景子は──その木に登り始めた。

「なるほどね…」

 理解はしたが、苦笑は止められないのだろう。

 菊の見上げる顔が目に入る。

「おねえちゃん…何してるの?」

 枝の上を這いずっていると。

 木の下には、ちびっこが一人増えていた。
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