異常人 T橋和則物語
「竹田先生。こちらセロンです。セロン・カミュ」
 一秒の間があり、それから穏やかな声がした。「どこにいるんです、君」
「どこでもいいでしょう?」セロンはそっけなくいった。「大事なのは和則のことだよ」 彼はふたたび和則、いや魚田みすずのほうへ目をやった。みすずは口の周りを汚しながら黙々とパンを食べていた。目はうつろだったが、発作はなさそうだ。
「彼を返してください、セロンさん」精神科医がいった。
「それは…」セロンは押し黙った。
 精神科医がもう一度いった。「彼を返してください、セロンさん」
「おやすいごようだ!」セロンはいった。「ただし、彼を救うのは俺だ」
「無理です。君は医者ですか?医療知識もないのに…和則君は救えませんよ」
「いや」セロンはいった。「発作だろ?あんなもの俺が怒鳴ればいいんだ。和則はそれでOKだよ。その発作のとめ方を教えてほしいんだよ。コツというか…」
「彼を返しなさい、セロンさん」おだやかで忍耐強かった竹田医師の声が命令口調にかわった。「今すぐ!」
 セロンの思惑よりやっかいなことになりそうだ。「なぁ、別に誘拐した訳じゃないんだから」セロンの声がしぼんだ。
「誘拐じゃなくて何だというのですか?彼は大金をもっていませんよ。資産家の息子でもなく、両親も貧乏です。和則君の治療費を出すだけでもアップアップだそうです」竹田はいった。
「そうかい?」セロンは苦笑いした。
「和則君にとって一番いい場所は、病院なんです。彼は、二十四時間フルに介護できる状態でなければ生きていけません。ひとりでは何もできないんです」
「ひとりじゃない。俺がいる」
「あなたは彼が何を欲しているか知ってますか?知らないでしょう?わたしたちは知っています。要は、その差だけなんです」竹田はいった。セロンは苦笑して「こら!和則!ダメだ!……そこはトイレじゃない!トイレで…やれ!」
「彼を返しなさい、セロンさん」竹田医師は命令した。
「知るか!」セロンはがなりたてて、電話を切った。無性に腹を立ててテーブルに戻ると、和則はにやりと笑い、「もちろんキ○タマがない」と、どもりながらいった。
「黙り…やがれ!」
 セロンは、髪をかきむしてから怒鳴った。


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