異常人 T橋和則物語
 和則は画面から目をはなさなかった。「浮気の女性の勝ち。賠償金三千万円。期日、三年以内…」
「そいつはすごい!」セロンは大袈裟に笑って適当にいった。「彼、いい顔してるな」
 和則は顔をあげ、戸惑ったような変な顔をした。彼は、女性だった。暴力夫に愛想をつかして浮気した女性、A子さんだった。
「さぁ、収録だ。急げ!ヘマやらかすんじゃないぞ。何にもしゃべるなよ!馬鹿がバレるから」セロンは慇懃にいった。
 和則はうなずいた。いや、美少女・魚田みすずだ。
 収録はまあまあだった。収録中、アユ子も副司会の三木竜太も、魚田みすず(和則)にコメントをもとめなかったために、和則は茫然とつっ立っていることができた。セロンはスタジオの袖で、ハラハラと不安な顔で和則をみていた。まさか、収録中に糞たれることはないだろうな。そんなの糞っくらえだ!
 しかし、悲劇は起こる。
 和田アユ子が、魚田みすずにコメントを求めたのだ。和則は押し黙った。それが、アユ子の怒りをかってしまう。彼女は、和則、いや魚田みすずを罵倒しだした。何かが、鋭さを増しつつある本能が、和則をとめろ、とセロンにいっていた。和則が立ちすくみ、アユ子を凝視していた。単調な呟きが、そして、ぽたぽたと涙が溢れ出た。これが恐怖の症状だとセロンにもわかってきたのだが、すでにはじまっていた。
「ウォーター」和則がつぶやいた。「もちろん。ウォーター……水、ウォーター…俺は和則。四十二才だあ~っ!」スタジオ中が、騒然となった。
「すいません!すいません!」セロンがあわてて駆けつけて、さえぎった。「かず……いや、みすずちゃん。どうしちゃったの?」焦れば焦るほど声はうわずり、手足がふるえた。セロンはそのまま和則をスタジオから連れ出した。
 ちくしょう! なんだよまたかよ。なんでおれが。ベビーシッターじゃねぇんだぞ。
「ダメじゃないか!和則!」セロンは楽屋で怒鳴った。
 
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