異常人 T橋和則物語
この世から消える……そんな感覚をセロンは覚えた。
 猛烈な勢いで頭を働かせながら、セロンは和則を連れて玄関に近づいた。
「もちろん、あと五分だ」和則はすさまじい声でいった。
 セロンは無理に和則の手をひっぱって目をのぞきこませ、「おい!和則!ここでテレビを見たくないか?!ウォーターマンだったな。みたいか?」ときいた。
 和則は押し黙った。そして、またうめき、爆発しそうに足踏みしだした。ウォーターマン、ウォーターマン、ウォーターマン、ウォーターマン。悪魔のマントラ。
「だったらよくきけ」セロンは警告を伝える声でいった。「このマンションの由美釈子ちゃんのテレビしか間にあわない。わかるか。入れてもらえなかったら、テレビはみれないんだぞ。ちゃんと聞いてるか?」
 和則はちゃんと聞いていた。状況を理解できただけに恐怖で全身が小刻みに震えた。”入れてもらえないくる””テレビがみれない”……恐怖の言葉だ。ウォーターマンが…みれなくなる。
「そこに立ってろ!」セロンが命令した。「そして、正常なふりをするんだ! 正常がどういうことか、わかるな」
 和則がカエルみたいにピョンピョン跳ねだしたので、セロンは鋭いしぐさでとめ、三番目の笑顔、つまり誠実な笑顔でマンションのチャイムを押した。由美 釈子の部屋だった。 短髪の美貌の女性が、目がくりっとした、手足もほそい華奢な女性が、玄関のドアをあけた。それが、由美 釈子だった。そこには背広姿の白人男がいた。ハンサムな顔に笑みを浮かべている。すぐうしろには可愛い美少女が茫然とつっ立っている。
「どうも、釈子ちゃん。セロンです。セロン・カミュ。同じ事務所の」
「あら」
「……かず…魚田みすずのマネージャーで、知ってるよね?」フランクな口調だった。
「えぇ」由美釈子は微笑んだ。「なにか…ご用ですの?」
 
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