龍馬! ~日本を今一度洗濯いたし候~
   8 薩長同盟





  麟太郎(勝海舟)は妹婿佐久間象山の横死によって打撃を受けた。
 麟太郎は元治元年(一八六四)七月十二日の日記にこう記した。
       がいせい                               「あぁ、先生は蓋世の英雄、その説正大、高明、よく世人の及ぶ所にあらず。こののち、われ、または誰にか談ぜん。
 国家の為、痛憤胸間に満ち、策略皆画餅」
 幕府の重役をになう象山と協力して、麟太郎は海軍操練所を強化し、わが国における一大共有の海局に発展させ、ひろく諸藩に人材を募るつもりでいた。
 そのための強力な相談相手を失って、胸中の憤懣をおさえかね、涙を流して龍馬たちにいった。
「考えてもみろ。勤皇を口にするばか者どもは、ヨーロッパの軍艦に京坂の地を焼け野原にされるまで、目が覚めねぇんだ。象山先生のような大人物に、これから働いてもらわなきゃならねぇときに、まったく、なんて阿呆な連中があらわれやがったのだろう」

              
  長州の久坂玄瑞(義助)は、吉田松陰の門下だった。
 久坂玄瑞は松下村塾の優秀な塾生徒で、同期にはあの高杉晋作がいた。ともに若いふた              
りは吉田松陰の「草奔掘起」の思想を実現しようと志をたてた。
 玄瑞はなかなかの色男で、高杉晋作は馬面である。
 なぜ、長州(山口県)という今でも遠いところにある藩の若き学者・吉田松陰が、改革を目指したのか? なぜ幕府打倒に執念を燃やしたのか?
 その起源は、嘉永二(一八四九)年、吉田松陰二十歳までさかのぼる。
 若き松陰は長州を発ち、諸国行脚をした。遠くは東北辺りまで足を運んだという。そして、人々が飢えに苦しんでいるのを目の当たりにした。
 ……徳川幕府は自分たちだけが利益を貪り、民、百姓を飢餓に陥れている。こんな政権を倒さなくてどうするか……
 松陰は思う。
 
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