初雪の日の愛しい人[短編]
 やがてカップの中は空になって、温もりも冷めてしまった。
 …急に現実が近づいてきたような、そんな気がする。

「――…ワタシ、そろそろいくね」
 
 彼女はそう言って、立ち上がった。
 そしてすたすたと入り口に向かって歩きはじめてしまう。

「え、ちょっと待ってっ」

 あたしは慌てて伝票を掴んで、人生で初めて「おつりはいらないです」といって千円札をおいて、外に出た。
  
 …人通りはわりとある通りなのに、人の流れが途切れている。

 彼女だけが、ポツンと立っていた。

「…行っちゃうの?」

 ――行かないで。

 幼い頃の自分の言葉を思い出す。

 ――行かないで、行かないで、ねえ、…。

「…ユキ」

 あたしの名前を呼んだのか、降り始めた初雪を見てそう言ったのか…あたしにはわからなかった。

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