愚者
店内が静かに成った。小夜子が訪れる時は、この店のカラーで在る気だるい雰囲気は消し飛んでしまう。私は二人が帰った後のカップを洗い乍、葵と呼ばれていた少女を思い出す。何処か儚げで、悲しい瞳をしている少女と云うのが第一印象だ。世の中の全てに嫌気が差したと云わんばかりの雰囲気は、小夜子の高気圧的な喋りが功を相したのか、途中からは年相応の笑顔を浮かべて話をしていた。心を打ち溶け合える存在が要ると云う事は良い物だ。果たして、私にはそう云った存在はいたのだろうか。過去を振り返ればそれ成りにいたのかも知れないが、それは、まだ真っ当と云う程では無いが、逃亡生活をする以前の頃だ。今の私には、上辺的な付き合いの人間関係しか無い。親しく成る程に、別れる時の辛さと云う物をうんざりする程に体験しているからだ。
 悲しみと云う物を突き詰めると、一線を引いた人付き合いに成るのかも知れ無い。無駄な考えだ。私は自分の鬱に成りそうな気持を洗い流す様に食器を洗い、バーへと変貌させる為に一旦店を閉め様として要ると、入り口のドアが静かに開かれた。
「邪魔するぞ」
 慇懃無礼な態度。富田がコートを脱ぎ乍入って来る。
「まだ大丈夫か?」
「ええ。一旦閉めますが、ゲストとしてお迎えしますよ」
「洒落た事を云うじゃねえか」
「そんな積もりはないですがね」
「ホット珈琲を貰おう」
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